*バレンツ海の船旅でロシア国境に迫る

ノルウェー9

ホニングスヴォーグからキルケネスまでは18時間の長い航海だ。大型の船は北極海の南端でもあるスカンジナビア半島の北部のフィヨルドと島の間を縫うように進む。時折、外海にでると海の色は一層暗く、波が高くなり、自分が北極海の上にいることを思い出す。そして日中の太陽はずっと地平線と水平線のわずかに上を舐めるよう移動している。北緯は71度を超えている。日差しはずっと明け方か夕方のようである。船上の各所からデッキに出ることができるので寒さに耐えられれば絶景をどれだけでも堪能できる。最果ての地の寂しさを感じながらも、天気が良い時間には北極圏の海に映る壮大な朝焼けあるいは夕焼けも日中ずっと眺めることができるし、夜間は条件が良ければオーロラも見ることができるという。小型のクジラの群れが船についてきて、時折尾ヒレを海面から跳ね上げる光景が美しい。人の数は少なくて勝手に辺境と呼んでいるが、そこには太古からの大自然の命の営みは確実にあるのだ。

大型船の乗客は、あえてオフシーズンの観光にきたと思われる旅人や、港と港を移動する地元の人たちがかなりいる。みなおしなべてゆったりしていて、そして寡黙である。豪華客船ではないので華美なサービスやイベントはないが、長旅を飽きさせないダイニングやライブラリーなどが整っている。インターネットのWi-fi接続が無料なのにも驚いた。

翌朝、恐ろしく時刻表どおりのスケジュールでキルケネスに到着。スカンジナビア半島の東北端、今回の旅の終着点である。船を降りると、港は整備されているももの、観光地の風情はまったくない。トラックの移動や倉庫が多く、乾いた物資の輸送拠点と言った感じだ。事実、この街はロシア国境まで約6キロ。歴史的にも経済的にも東のロシアや南のフィンランドとの結び付きが強い土地だという。第2時世界大戦時はナチスによる占領によりドイツ海軍と空軍の拠点にもなっていた。旅人の勝手で、この土地が「ノルウェーの辺境」「地の果て」と思い込んでやってきたが、地政学あるいは経済の観点からは今も大変な要所であるのだ。

ノルウェー10

市中のスーパーマ−ケットにはロシア産の野菜、南欧やオーストラリア産のフルーツが豊富に並ぶ。かろうじてある土産物屋にはロシアとの国境が観光地として写真に収まり、周辺には南アジア出身と思われる労働者もいることも分かる。正午近いというのに低く弱々しい日差しと、凍りついた地面に映る長い自分の影を眺めつつ、政治・経済のしくみに関わらず、それがたとえ酷寒の地であっても、人の営みにはボーダーなどないことを改めてキルケネスの青空の下で思い知った。地図にある国境線を眺めてひらめいた旅であっただけになんとも皮肉だけども、やはり実際にそこに行ってみないと分からないことはたくさんあるのである。

帰路はまた船で36時間かけてトロムソに戻り、「北極教会」を訪れ、「世界最北のビール」やサーモンなどを楽しみ、その後空路、オスロに戻る。北極圏から帰還。長い旅の終わりである。

ノルウェー11

今回のノルウェーの旅で感じたことは、ノルウェー人は寡黙ででしゃばらないが、自分たちと国に圧倒的な自信を持っているであろうということだ。そしてホテルでは例外なく「バイキング」方式の朝食が大変充実していて、誰もがサーモンを主食のように食べるということも分かった(機内でも朝食がとても重要であることも分かった)。IT環境の整備が進んでいることや、交通インフラがきっちり定時であることなども、どことなく日本と日本人に通じるような気がするのは、良き旅を体験した後の贔屓目かもしれない。そんなノルウェーも物価や税負担の高さや、多文化志向の・移民政策が昨今社会問題を引き起こすなど国として課題が少なからずある(多文化政策に反対して起こした無差別テロ事件は記憶に新しい)。しかし、多くの先進国とは異なる方向性で豊かな社会を目指していることを社会の仕組みや人々の振る舞いから実感できたのが、今回の旅の最大の収穫だ。

オスロ空港ターミナルビルのフロアに「オーディンの箴言(しんげん)」の一つが日本語で埋め込まれていた。「遠く旅する人は知恵がいる/家では何も苦労はないが/ものを知らぬ人が賢い人と同席したら/物笑いの種になる」。北欧神話の最高神オーディンの言葉とされている、ヴァイキング時代からの言い伝えだ。なるほど、ノルウェー人と彼らの祖先は旅人なのだ。事実、コロンブスのアメリカ大陸到達の数百年前にすでに小舟で大西洋を渡ったりもしている。旅の初めにオスロ空港に到着した時から、この国の多くの人々に何かシンパシーのようなものを感じていた理由が、どこか共通の旅人のDNAみたいなものだったのだとすれば、とても嬉しい。

*バレンツ海の船旅でロシア国境に迫る

ノルウェー9

ホニングスヴォーグからキルケネスまでは18時間の長い航海だ。大型の船は北極海の南端でもあるスカンジナビア半島の北部のフィヨルドと島の間を縫うように進む。時折、外海にでると海の色は一層暗く、波が高くなり、自分が北極海の上にいることを思い出す。そして日中の太陽はずっと地平線と水平線のわずかに上を舐めるよう移動している。北緯は71度を超えている。日差しはずっと明け方か夕方のようである。船上の各所からデッキに出ることができるので寒さに耐えられれば絶景をどれだけでも堪能できる。最果ての地の寂しさを感じながらも、天気が良い時間には北極圏の海に映る壮大な朝焼けあるいは夕焼けも日中ずっと眺めることができるし、夜間は条件が良ければオーロラも見ることができるという。小型のクジラの群れが船についてきて、時折尾ヒレを海面から跳ね上げる光景が美しい。人の数は少なくて勝手に辺境と呼んでいるが、そこには太古からの大自然の命の営みは確実にあるのだ。

大型船の乗客は、あえてオフシーズンの観光にきたと思われる旅人や、港と港を移動する地元の人たちがかなりいる。みなおしなべてゆったりしていて、そして寡黙である。豪華客船ではないので華美なサービスやイベントはないが、長旅を飽きさせないダイニングやライブラリーなどが整っている。インターネットのWi-fi接続が無料なのにも驚いた。

翌朝、恐ろしく時刻表どおりのスケジュールでキルケネスに到着。スカンジナビア半島の東北端、今回の旅の終着点である。船を降りると、港は整備されているももの、観光地の風情はまったくない。トラックの移動や倉庫が多く、乾いた物資の輸送拠点と言った感じだ。事実、この街はロシア国境まで約6キロ。歴史的にも経済的にも東のロシアや南のフィンランドとの結び付きが強い土地だという。第2時世界大戦時はナチスによる占領によりドイツ海軍と空軍の拠点にもなっていた。旅人の勝手で、この土地が「ノルウェーの辺境」「地の果て」と思い込んでやってきたが、地政学あるいは経済の観点からは今も大変な要所であるのだ。

ノルウェー10

市中のスーパーマ−ケットにはロシア産の野菜、南欧やオーストラリア産のフルーツが豊富に並ぶ。かろうじてある土産物屋にはロシアとの国境が観光地として写真に収まり、周辺には南アジア出身と思われる労働者もいることも分かる。正午近いというのに低く弱々しい日差しと、凍りついた地面に映る長い自分の影を眺めつつ、政治・経済のしくみに関わらず、それがたとえ酷寒の地であっても、人の営みにはボーダーなどないことを改めてキルケネスの青空の下で思い知った。地図にある国境線を眺めてひらめいた旅であっただけになんとも皮肉だけども、やはり実際にそこに行ってみないと分からないことはたくさんあるのである。

帰路はまた船で36時間かけてトロムソに戻り、「北極教会」を訪れ、「世界最北のビール」やサーモンなどを楽しみ、その後空路、オスロに戻る。北極圏から帰還。長い旅の終わりである。

ノルウェー11

今回のノルウェーの旅で感じたことは、ノルウェー人は寡黙ででしゃばらないが、自分たちと国に圧倒的な自信を持っているであろうということだ。そしてホテルでは例外なく「バイキング」方式の朝食が大変充実していて、誰もがサーモンを主食のように食べるということも分かった(機内でも朝食がとても重要であることも分かった)。IT環境の整備が進んでいることや、交通インフラがきっちり定時であることなども、どことなく日本と日本人に通じるような気がするのは、良き旅を体験した後の贔屓目かもしれない。そんなノルウェーも物価や税負担の高さや、多文化志向の・移民政策が昨今社会問題を引き起こすなど国として課題が少なからずある(多文化政策に反対して起こした無差別テロ事件は記憶に新しい)。しかし、多くの先進国とは異なる方向性で豊かな社会を目指していることを社会の仕組みや人々の振る舞いから実感できたのが、今回の旅の最大の収穫だ。

オスロ空港ターミナルビルのフロアに「オーディンの箴言(しんげん)」の一つが日本語で埋め込まれていた。「遠く旅する人は知恵がいる/家では何も苦労はないが/ものを知らぬ人が賢い人と同席したら/物笑いの種になる」。北欧神話の最高神オーディンの言葉とされている、ヴァイキング時代からの言い伝えだ。なるほど、ノルウェー人と彼らの祖先は旅人なのだ。事実、コロンブスのアメリカ大陸到達の数百年前にすでに小舟で大西洋を渡ったりもしている。旅の初めにオスロ空港に到着した時から、この国の多くの人々に何かシンパシーのようなものを感じていた理由が、どこか共通の旅人のDNAみたいなものだったのだとすれば、とても嬉しい。