金門島では「風獅爺」(英語では「Wind Lion」)をよく見かける。海風が強い金門島で風を鎮め邪気を払ってくれるとされている、いわば島の守護神。村の入口や、家や店舗の前にさり気なく立っていて、さまざまな表情で独特の存在感を放っている。沖縄のシーサーに似た風貌だが、多くが直立しており、バリエーションが広いだけでなくそれぞれ思い思いに色が塗られていたり衣類を着せられていたりするスタイルが特徴的だ。空港からの道のりでも数多く見かけるが、土地の空気感そのものなのだろうか。だんだんと自分の旅が、風獅子爺に見守られているような気分になるから不思議だ。

金城の街は人口数千人といったサイズで、「県」である金門島の行政と経済の中心。大型商業施設はほとんどなく個人経営の店が続く昔ながらの商店街が楽しい。地元の人たちと観光客が行き交い、それなりに活気がある。中心部にあるバスターミナルからは島内各地へのバス路線が発着する。路線バスは数十円で島内のどこへでも行けるのでオススメだ。

金門島9

このバスターミナルの上階に「金城民防坑道展示館」がある。大陸との軍事対立が続いた時代に造られた地下トンネル網(英語では「Defense Tunnels」)の博物館で、入り口と内部は当然のように「迷彩柄」のデコレーションで統一されている。金城の街の地下に、主要な施設と都市機能を結ぶように掘られた全長数キロの坑道で、小中学校の校舎などとも直接つながっていることから、有事には市民が逃げこむ防空トンネルであったことが分かる。ふむふむと写真やパネルでその歴史を追っていると、スタッフが「無料のトンネルツアーに参加しないか」と声をかけてくる。実際に歩けるのか、と台湾・中国本土からの観光客らと共に参加してみる。トンネルは幅が1メートル強、高さは175センチ程度と狭い。ごく最近修復がなされたと思われる箇所も多いが、それが本来の目的のための施設整備だったのか、観光用の演出の工事だったのかは分からない。土のうや食料備蓄のための側室も数多くある。概ね暗く、湿度が高く、はっきり言って気味が悪い。この空間で数千人の市民が数万発の砲弾の攻撃から逃れ命をつないだのか、と想像すると、そのあまりのリアルさに、閉所恐怖症でなくても少々不快な気分になる。

金門島10

金門島11

地上に抜けてようやく息をつく。ツアーに同行した中国本土から来たという観光客グループは、強固なトンネルを見て「金門島は共産軍が落とせなかった島。なぜ落とせなかったのか、今、分かった」と笑っていた。

水頭碼頭(フェリーターミナル)には大金門島と厦門や小金門島を結ぶフェリーが頻繁に発着する。10数年前までは存在しなかった「小三通」のまさに最前線。かつて立ちはだかっていた強大な壁が取り払われて、今はここから1時間弱で中国大陸・厦門に渡れると思うと、一般人の旅というものが、社会情勢や政治に左右されることを改めて実感する。多くの観光客に加えて、商材が入っていると思われる大きな段ボールを運ぶ行商人や輸送業者、そして小金門島(台湾軍の軍事施設がある)に向かう迷彩服の軍人が忙しく行き交っているのが印象的だ。

金門島12

金門空港から帰路は台北の松山空港までFAT(遠東航空)を利用した。台湾発着の国際線がメインのエアラインだが、金門空港路線は「主要国内線」として運航する。空港手続きと1時間のフライトは、往路と同様に日本の国内線のように突出した特徴もなく、とても安定している。台湾の国内線はオンラインでの航空券購入を含めて日本人旅客が安心して利用できる。カメラを肩にかけて機内を進むと、撮影していないにも関わらず、年配の客室乗務員に「台湾の航空会社は写真禁止」と告げられる。ずいぶんざっくりとしたルールだなあ、と思うが、かつての空港=軍事施設の実態から考えると、ありえなくもない。国内線だからか、金門空港線だからかとも思い念のため別の若い乗務員に再度確認してみると、「そんなことはない。撮影していいよ」と言う。規則の詳細は不明だが、小三通の「通商」「交通」「通信」の開放に伴って、メディアや情報の扱いにも大きな変化が進行しているであろうことは想像できる。

金門島は、日本の台湾統治時代にもその直接的な影響はほとんどなかったという。そして今も日本人観光客はまばらだ。それでも町のホテルの外国語表示に英語と並んで日本語があるあたりは、さすが台湾である。一般的な観光リソースは多くはないが、その親日の安心感と日本人の口に合うとされる台湾料理を楽しみながら、中国と台湾の関係性と現状を体感し、東アジアの近未来を勝手に想像できる金門島は訪れるに値する。台湾と中国本土をまとめて楽しむ新ルートに、金門島経由を加えるのは悪くないかもしれない。

金門島13

金門空港を出発する前に立ち寄った売店に、かつて中国本土から打ち込まれた砲弾に起源を持つ島特産の高品質の「包丁」が並べられていた。そもそも自分たちを狙った武器から造られたそれらの包丁の輝きをじっと見ていると、島の各所で遭遇したミリタリーテーマのさまざまな物や場所が、決して遺構や観光リソース目的だけではなく、まだまだリアルタイムの軍事アイテムとしてそこにあるような気がしてきた。滞在中、旅行者としてこの島が「ミリタリーテーマパーク」だと感じたが、実際は「ミリタリーの現場」である面はまだある。金城の街で話を聞いた30代の女性の「子ども頃にはあり得なかった中国本土との交流が盛んなのは島にとって良いこと。でもその変化は政策の変更の結果。将来、また政策が変われば状況は変わる」という言葉に、強烈なリアリティを感じたことを思い出した。それを話す彼女の表情に、笑みがまったく無かったからだ。

金門島では「風獅爺」(英語では「Wind Lion」)をよく見かける。海風が強い金門島で風を鎮め邪気を払ってくれるとされている、いわば島の守護神。村の入口や、家や店舗の前にさり気なく立っていて、さまざまな表情で独特の存在感を放っている。沖縄のシーサーに似た風貌だが、多くが直立しており、バリエーションが広いだけでなくそれぞれ思い思いに色が塗られていたり衣類を着せられていたりするスタイルが特徴的だ。空港からの道のりでも数多く見かけるが、土地の空気感そのものなのだろうか。だんだんと自分の旅が、風獅子爺に見守られているような気分になるから不思議だ。

金城の街は人口数千人といったサイズで、「県」である金門島の行政と経済の中心。大型商業施設はほとんどなく個人経営の店が続く昔ながらの商店街が楽しい。地元の人たちと観光客が行き交い、それなりに活気がある。中心部にあるバスターミナルからは島内各地へのバス路線が発着する。路線バスは数十円で島内のどこへでも行けるのでオススメだ。

金門島9

このバスターミナルの上階に「金城民防坑道展示館」がある。大陸との軍事対立が続いた時代に造られた地下トンネル網(英語では「Defense Tunnels」)の博物館で、入り口と内部は当然のように「迷彩柄」のデコレーションで統一されている。金城の街の地下に、主要な施設と都市機能を結ぶように掘られた全長数キロの坑道で、小中学校の校舎などとも直接つながっていることから、有事には市民が逃げこむ防空トンネルであったことが分かる。ふむふむと写真やパネルでその歴史を追っていると、スタッフが「無料のトンネルツアーに参加しないか」と声をかけてくる。実際に歩けるのか、と台湾・中国本土からの観光客らと共に参加してみる。トンネルは幅が1メートル強、高さは175センチ程度と狭い。ごく最近修復がなされたと思われる箇所も多いが、それが本来の目的のための施設整備だったのか、観光用の演出の工事だったのかは分からない。土のうや食料備蓄のための側室も数多くある。概ね暗く、湿度が高く、はっきり言って気味が悪い。この空間で数千人の市民が数万発の砲弾の攻撃から逃れ命をつないだのか、と想像すると、そのあまりのリアルさに、閉所恐怖症でなくても少々不快な気分になる。

金門島10

金門島11

地上に抜けてようやく息をつく。ツアーに同行した中国本土から来たという観光客グループは、強固なトンネルを見て「金門島は共産軍が落とせなかった島。なぜ落とせなかったのか、今、分かった」と笑っていた。

水頭碼頭(フェリーターミナル)には大金門島と厦門や小金門島を結ぶフェリーが頻繁に発着する。10数年前までは存在しなかった「小三通」のまさに最前線。かつて立ちはだかっていた強大な壁が取り払われて、今はここから1時間弱で中国大陸・厦門に渡れると思うと、一般人の旅というものが、社会情勢や政治に左右されることを改めて実感する。多くの観光客に加えて、商材が入っていると思われる大きな段ボールを運ぶ行商人や輸送業者、そして小金門島(台湾軍の軍事施設がある)に向かう迷彩服の軍人が忙しく行き交っているのが印象的だ。

金門島12

金門空港から帰路は台北の松山空港までFAT(遠東航空)を利用した。台湾発着の国際線がメインのエアラインだが、金門空港路線は「主要国内線」として運航する。空港手続きと1時間のフライトは、往路と同様に日本の国内線のように突出した特徴もなく、とても安定している。台湾の国内線はオンラインでの航空券購入を含めて日本人旅客が安心して利用できる。カメラを肩にかけて機内を進むと、撮影していないにも関わらず、年配の客室乗務員に「台湾の航空会社は写真禁止」と告げられる。ずいぶんざっくりとしたルールだなあ、と思うが、かつての空港=軍事施設の実態から考えると、ありえなくもない。国内線だからか、金門空港線だからかとも思い念のため別の若い乗務員に再度確認してみると、「そんなことはない。撮影していいよ」と言う。規則の詳細は不明だが、小三通の「通商」「交通」「通信」の開放に伴って、メディアや情報の扱いにも大きな変化が進行しているであろうことは想像できる。

金門島は、日本の台湾統治時代にもその直接的な影響はほとんどなかったという。そして今も日本人観光客はまばらだ。それでも町のホテルの外国語表示に英語と並んで日本語があるあたりは、さすが台湾である。一般的な観光リソースは多くはないが、その親日の安心感と日本人の口に合うとされる台湾料理を楽しみながら、中国と台湾の関係性と現状を体感し、東アジアの近未来を勝手に想像できる金門島は訪れるに値する。台湾と中国本土をまとめて楽しむ新ルートに、金門島経由を加えるのは悪くないかもしれない。

金門島13

金門空港を出発する前に立ち寄った売店に、かつて中国本土から打ち込まれた砲弾に起源を持つ島特産の高品質の「包丁」が並べられていた。そもそも自分たちを狙った武器から造られたそれらの包丁の輝きをじっと見ていると、島の各所で遭遇したミリタリーテーマのさまざまな物や場所が、決して遺構や観光リソース目的だけではなく、まだまだリアルタイムの軍事アイテムとしてそこにあるような気がしてきた。滞在中、旅行者としてこの島が「ミリタリーテーマパーク」だと感じたが、実際は「ミリタリーの現場」である面はまだある。金城の街で話を聞いた30代の女性の「子ども頃にはあり得なかった中国本土との交流が盛んなのは島にとって良いこと。でもその変化は政策の変更の結果。将来、また政策が変われば状況は変わる」という言葉に、強烈なリアリティを感じたことを思い出した。それを話す彼女の表情に、笑みがまったく無かったからだ。