ユジノサハリンスク3

スーパーマーケットを覗くと商品は思いのほか豊かに揃っている。さっそく物価をチェックしてみる。旅先ではまずこうして日常生活の金銭感覚を身につけておくと、その後の行動が楽なのだ。ソフトドリンクが45ルーブル=約135円(1ルーブル=約3円)。ビールが50-100ルーブル=約150円〜300円。大きめのサンドイッチなどが200ルーブル=約600円。これらは概ね日本とほぼ同じである。

続いてレストランに入ってみる。それなりのグレードのレストランには必ず有人クロークがあり、メーンダイニングに入る前に全員コートを預けるシステムになっている。クロークではわずかだかお金もかかる。これは雪国ならではサービスなのか、ロシア式のマナーなのかは判断がつかないが、1人で軽く食事をしたいときなどには正直少々面倒である。かと言って、カジュアルなカフェが軒を並べているわけでもない。このあたりの事情は異国情緒こそ感じられるものの、旅行目的地としては個人の日本人旅行者には少し敷居が高いかもしれない。それでもレストランでは新鮮なシーフード・肉・野菜を使ったロシア料理を堪能できる。ビーフストロガノフに焼きじゃがいも、「ウハー」と呼ばれる魚のスープなど、いずれも地元産の食材が豊かなのだろう、素朴な味わいの味の中にもしっかりとした食べ応えがある。全体的に塩味が強めなのが特徴で、食事と共にウォッカやビールが進むのは言うまでもない。

ユジノサハリンスク4

ユジノサハリンスク5

日本とは同経度にあるものの、サハリンの標準時は2時間進んでいる。そのためあっという間に初日は終わりだ。わずか数時間の市内探訪であったが、人々が積極的に話しかけてくることはないものの、こちらから何かを尋ねると言葉が通じないのに極めてフレンドリーである。満面の笑みとまではいかずとも、敵意のない穏やかな表情で真剣に旅行者をサポートしてくれることが印象的だ。

翌日は快晴だ。青空が印象的な冬の天候だが、湿度はあまり低くない。摂氏0度前後の寒さ以外はいたって快適である。

鉄道駅に程近いレーニン像の前の広場にやってくる。高さ9メートルの像は威容がある。ソ連時代は間違いなくここが街の中心だったのだろう。国の体制が変わってもここに建ち続けているのは、レーニンが政治家・革命家であるだけでなく思想家としてレスペクトされているからか。広場の雪除け作業が熱心かつ丁寧に行われているすぐ横では、市内に数カ所しかない電光掲示のビルボードが建っている。日本でLED照明や高細密の液晶ディスプレーに日常的に接している目には、かなりレトロで貧弱に見えるが、レーニンの目にはどう映っているのだろうか。

サハリンの人々は(日本人が考える以上に)日本ブランドや日本人に対して信頼感を持っており、物理的な距離の近さからも一定の親近感があるという。街中の車がほぼすべて日本車であることもその証左の一つなのだ。そんな状況をベースに、現在、北海道からサハリンに向けた観光ルートの開発や企画が進んでいる。内容は日本統治時代の遺構巡りに限らず、サハリンの大自然、ロシア料理やシーフードを堪能し、ロシア風のサウナ風呂「バーニャ」を体験するなど多彩だ。最近では24時間営業の商店で日本同様の品揃えの商品が並び、大型のショッピングセンターがオープンしているほか、日本食を含むレストランの質の向上が上がっていることなども魅力だという。ユジノサハリンスクでは夜でも家族連れで歩いてホテルに帰れるほど治安が良いことも、ポイントが高い。一方で、観光利用可能な公共交通機関が少なく、地方では未整備の道路も多いなど、インフラの整備はこれからだそうだ。観光リソースがありポテンシャルは高く、観光市場の開発が進められているが、まだまだ課題も多いというのが現実なのだ。夏季の稚内からのフェリーによる渡航では72時間内のビザなし渡航が可能であることも含め、サハリン観光がこれからじわりと拡大する下地は整いつつある。今後の進展に注目したい。

ユジノサハリンスク6

そんな産業と観光インフラの一つである鉄道のユジノサハリンスク駅(旧・豊原駅)に向かう。ここから鉄路がサハリン南端に近い港町で、夏季に稚内からのフェリーが着くコルサコフ(旧・大泊、)や島北端のオハ、さらにはタタール(間宮)海峡を超えてユーラシア大陸につながる鉄道連絡船の発着地ホルムスク(旧・真岡)に繋がっている。駅舎は比較的新しいものだが、線路や鉄道のシステムは日本統治時代に建設されたものがベースになっているそうで老朽化が目立つ。鉄道は基本、貨物輸送が主流で、観光客が気軽に利用するには運行本数が少なく、また夏季以外には雪のため目的地での行動がかなり制限される。緑あふれる夏季に訪れるなら、ここから鉄路を進み、ぜひ島の北端まで、あるいは鉄道連絡船で大陸に渡るのがお勧めだ。

ユジノサハリンスク3

スーパーマーケットを覗くと商品は思いのほか豊かに揃っている。さっそく物価をチェックしてみる。旅先ではまずこうして日常生活の金銭感覚を身につけておくと、その後の行動が楽なのだ。ソフトドリンクが45ルーブル=約135円(1ルーブル=約3円)。ビールが50-100ルーブル=約150円〜300円。大きめのサンドイッチなどが200ルーブル=約600円。これらは概ね日本とほぼ同じである。

続いてレストランに入ってみる。それなりのグレードのレストランには必ず有人クロークがあり、メーンダイニングに入る前に全員コートを預けるシステムになっている。クロークではわずかだかお金もかかる。これは雪国ならではサービスなのか、ロシア式のマナーなのかは判断がつかないが、1人で軽く食事をしたいときなどには正直少々面倒である。かと言って、カジュアルなカフェが軒を並べているわけでもない。このあたりの事情は異国情緒こそ感じられるものの、旅行目的地としては個人の日本人旅行者には少し敷居が高いかもしれない。それでもレストランでは新鮮なシーフード・肉・野菜を使ったロシア料理を堪能できる。ビーフストロガノフに焼きじゃがいも、「ウハー」と呼ばれる魚のスープなど、いずれも地元産の食材が豊かなのだろう、素朴な味わいの味の中にもしっかりとした食べ応えがある。全体的に塩味が強めなのが特徴で、食事と共にウォッカやビールが進むのは言うまでもない。

ユジノサハリンスク4

ユジノサハリンスク5

日本とは同経度にあるものの、サハリンの標準時は2時間進んでいる。そのためあっという間に初日は終わりだ。わずか数時間の市内探訪であったが、人々が積極的に話しかけてくることはないものの、こちらから何かを尋ねると言葉が通じないのに極めてフレンドリーである。満面の笑みとまではいかずとも、敵意のない穏やかな表情で真剣に旅行者をサポートしてくれることが印象的だ。

翌日は快晴だ。青空が印象的な冬の天候だが、湿度はあまり低くない。摂氏0度前後の寒さ以外はいたって快適である。

鉄道駅に程近いレーニン像の前の広場にやってくる。高さ9メートルの像は威容がある。ソ連時代は間違いなくここが街の中心だったのだろう。国の体制が変わってもここに建ち続けているのは、レーニンが政治家・革命家であるだけでなく思想家としてレスペクトされているからか。広場の雪除け作業が熱心かつ丁寧に行われているすぐ横では、市内に数カ所しかない電光掲示のビルボードが建っている。日本でLED照明や高細密の液晶ディスプレーに日常的に接している目には、かなりレトロで貧弱に見えるが、レーニンの目にはどう映っているのだろうか。

サハリンの人々は(日本人が考える以上に)日本ブランドや日本人に対して信頼感を持っており、物理的な距離の近さからも一定の親近感があるという。街中の車がほぼすべて日本車であることもその証左の一つなのだ。そんな状況をベースに、現在、北海道からサハリンに向けた観光ルートの開発や企画が進んでいる。内容は日本統治時代の遺構巡りに限らず、サハリンの大自然、ロシア料理やシーフードを堪能し、ロシア風のサウナ風呂「バーニャ」を体験するなど多彩だ。最近では24時間営業の商店で日本同様の品揃えの商品が並び、大型のショッピングセンターがオープンしているほか、日本食を含むレストランの質の向上が上がっていることなども魅力だという。ユジノサハリンスクでは夜でも家族連れで歩いてホテルに帰れるほど治安が良いことも、ポイントが高い。一方で、観光利用可能な公共交通機関が少なく、地方では未整備の道路も多いなど、インフラの整備はこれからだそうだ。観光リソースがありポテンシャルは高く、観光市場の開発が進められているが、まだまだ課題も多いというのが現実なのだ。夏季の稚内からのフェリーによる渡航では72時間内のビザなし渡航が可能であることも含め、サハリン観光がこれからじわりと拡大する下地は整いつつある。今後の進展に注目したい。

ユジノサハリンスク6

そんな産業と観光インフラの一つである鉄道のユジノサハリンスク駅(旧・豊原駅)に向かう。ここから鉄路がサハリン南端に近い港町で、夏季に稚内からのフェリーが着くコルサコフ(旧・大泊、)や島北端のオハ、さらにはタタール(間宮)海峡を超えてユーラシア大陸につながる鉄道連絡船の発着地ホルムスク(旧・真岡)に繋がっている。駅舎は比較的新しいものだが、線路や鉄道のシステムは日本統治時代に建設されたものがベースになっているそうで老朽化が目立つ。鉄道は基本、貨物輸送が主流で、観光客が気軽に利用するには運行本数が少なく、また夏季以外には雪のため目的地での行動がかなり制限される。緑あふれる夏季に訪れるなら、ここから鉄路を進み、ぜひ島の北端まで、あるいは鉄道連絡船で大陸に渡るのがお勧めだ。