東南アジアの航空市場にはスピード感がある。世界最高レベルとされるサービスの提供を追求するレガシーの熾烈な競合から、驚くような低価格とカジュアルさを前面に出すLCCの興隆まで、エアライン業界のユニークな施策や素早い動向が、実際に地域を行き交う人々の移動スタイルに日々、多大な影響を与えている。そんな東南アジアの航空事情の一端を体験しようと、バンコクから隣国ラオスの首都ビエンチャンを駆け足で往復した。
フライトは数ある航空会社の中から「ノック・エア」を選んだ。同社は鮮やかな黄色がコーポレートカラーで、バンコク・ドンムアン国際空港を拠点に、真紅のタイ・エアアジアと共に同国のLCC市場を2分するビッグプレーヤー。機体先端部にコミック風の鳥の顔が描かれ、さらにコーン部分がそのままクチバシになっているという、脱力感しか感じられないマーキングが印象的だ。
バンコク発の航空券を買おうと同社のウェブサイトを覗くと、路線情報ページの国際線デスティネーション・リストに、隣国ラオスの首都ビエンチャンが堂々と表示されている。ドンムアンからビエンチャンまでの国際線片道が総額約1900バーツ(約7000円)という安さもさることながら、タイを代表するLCCの数少ない国際線に乗ってみたいと思い迷わず即、購入した。しかしよく見るとそこには小さな文字で「ウドンタニ経由」とあるではないか。ウドンタニとはタイ北東部、ラオス国境近くの小都市である。ビエンチャンは国境のメコン川を挟んだ対岸に位置するため、ウドンタニからは極めて近距離だ。なるほど、国内区間をファーストレグに、国際線部分を短いセカンドレグにして集客するタイのLCC独自の路線計画なのか、と感心ししつもさらに注意書きをよく見ると、ウドンタニからビエンチャンまではバスサービスであり、バンコク〜ビエンチャンの「国際路線」は「フライ&ライド」、つまりフライト搭乗とバス乗車のセットであると書かれている。確かに注釈には小さくバスのマークも描かれている。この「国際線」は経由便でもなんでもなく、バンコク〜ウドンタニまでの国内線フライトに、ビエンチャンまでの陸路のバスサービスをくっつけて販売しているだけではないか。オンライン購入はすでに完了している。唖然とし、そして若干の騙された感に落ち込む。
いや待てよ、昔からヨーロッパや北米では、大手エアラインが地域の高速鉄道サービスなどに航空便名を付けて「乗継便」として販売しているケースがあったではないか。確かそれらは鉄道乗車分のチケットも航空券の一クーポンとしてまとめて発券していたはずだ。もしかしたらノック・エアもそのような高度なマーケティング手法を、現代のLCCスタイルで導入しているのかも、と少々無理矢理だが状況を良い方向に考えることにして、同便の出発地のドンムアン空港に向かった。
ドンムアン国際空港出発は未明の5時55分。4時過ぎからノックの若手チェックイン・スタッフが出発ロビーのカウンターに出勤してくるが皆、眠そうで覇気はない。手には朝食だろうか、フルーツなどが入ったビニール袋をぶら下げている。カウンターの中に入り、準備をしながらフルーツを食べている。ゆるくて、だるい。ただカウンターオープンを待つ旅客も、そんな未明の朝食風景をあまり気に留めていない様子だ。
カウンターがようやく開いて「ビエンチャン」行きの便にチェックインする。さっきまでパイナップルをつまんでいたスタッフに旅程表を提示すると、「ウドンタニ?」とぶっきらぼうに聞いてくるので、敢えて「ビエンチャン行きの便を予約している」と答えてみる。すると「ノー、ビエンチャン。ウドンタニ」と言いながら、バンコク〜ウドンタニの国内線の搭乗券にあたるレシートを手渡してくる。ウドンタニ空港からのバスはどうやって乗るのか?乗車券は?案内はないのかと矢継ぎ早に尋ねると、「アスク・ウドンタニ・スタッフ」と中途半端な英語で言う。「その質問は到着空港で尋ねろ」は、エアラインの空港スタッフが発する最もアテにならないセリフの一つであることを私は知っている。食い下がりたかったが、スタッフはすで次の客を無言でさばいていて、もう私の相手はしてくれないようだ。
バンコク〜ビエンチャンの「航空券」を買ったのに、ウドンタニまでの搭乗券しかもらえず、でもまあ旅程表あるからなんとかなるのか、いや待てよ、拠点空港のバンコクでダメなことが地方空港でうまくいくのか、などとこれまでの自分の旅の失敗経験などが頭の中を駆け巡る中、搭乗前にもう一度聞いてみようとゲートに向かう。出発ゲートで担当スタッフを見つけるも、彼女たちもまた、なんとも暇そうにフルーツをつまみながらスマホをいじっている・・・。まるで大騒ぎする自分がダメトラベラーであることを念押しするかのような光景だ。脱力し、半ば諦めた。こうなったらウドンタニ到着後、自力でなんとかやるしかない。
ノック・エアはタイの雑誌などの広告に「座席指定・受託手荷物・機内食がタダ」と宣伝している。競合するLCCの中でも少し飛び抜けた存在であることをアピールしているようだ。実際、55分のフライト中に簡単なスナックが無料で提供されたが、パッケージのブランディングと中身のクオリティに気を配っているのに感心した。スナックの量は少ないが、有名プレッツエル・チェーンのミニソーセージパンが入るなど、メジャー感も強調されている。全体的に過不足なく、むしろ満足して、約55分の飛行でウドンタニ空港に到着する。
さてここからビエンチャンまで国境越えの「国際」バスチケットがない。どうしたものかと思いつつ手荷物受取ロビーに進むと、なんと「ノック」「ビエンチャン」の文字が書かれたスタンドがあり、その横にスタッフがぼんやり立っているではないか。「ビエンチャンに行く」と伝えると、「ついて来い」と言う。ほほー、ロゴが掲げられたノック・エア専用の大型バスが待っているのか、と思いきや、案内された先は空港発の乗り合いシャトルバンのカウンターである。スタッフはそこでチケットを受け取るとそれを私に手渡し、「これに乗れ」と一般の乗り合いバンまで案内する。行き先は書いてないが国境の町ノンカイ行きのバンなのだという。乗車前に「国境から先のバスのチケットとはどうするのだ」と聞くと、「自分で買え」と言う。「それは違うだろ」と食い下がると、「バスが待っている」と即答される。いったいどっちなんだヨ、と腹の中で突っ込んでみるものの埒が明かず、少々の不安と不満が渦巻くまま、そして答えがないまま、シャトルバンは国境の街に向けて出発する。
約40分のバス乗車でノンカイの国境施設に到着。タイ側のイミグレはテキパキとしっかりしたもので、その先のタイ・ラオス友好橋(フレンドシップブリッジ)を通過する専用バスの乗車には20バーツ(約75円)がかかるが、これは購入した「航空券」には含まれておらず別途自腹だと書いてあったので驚かない。雄大な朝のメコン川を渡ってラオス入国のイミグレ施設に到着する。周囲の空気がタイ側のそれに比べると急に庶民的に、そして埃っぽく感じられるから、陸路の旅もまた楽しい。日本のパスポート保持者は観光目的のラオス入国にビザが免除されているため、多くの国の人々が到着ビザを申請・受領しているのを横目に、なんなく入国する。入国を済ませた旅行者の中には日本人らしき人々の姿もちらほら見える。ここは、観光ビザでタイに長期滞在する人がビザ書き換えや滞在許可の更新に向けた出国・再入国のための、「ビザラン」と呼ばれる国境越えの代表的なルートなのだという。確かに、ラオス入国後の待合エリアでは「(在ビエンチャンの)タイ大使館に行くのか?」と声をかけてくるタクシードライバーが多い。
しかし私は大使館には行かない。それよりここで支払い済みのノック・エアのバスを探さなくてはならない。この辺りにノックの看板があったら大したものだ、しかしそんなものはきっとないだろうなぁ。さすがにここから先は自分で新たにチケットを買っても構わないか、と半ば諦めていると、エリアの隅の売店にラオス人には珍しいおしゃれな帽子をかぶった若者が立っており、脇に小さな看板を抱えている。そしてその看板にはノック・エアのロゴとビエンチャンの文字が書かれているではないか。「おお、お前はノック・エアのスタッフか」と聞くと、「そうだ、ノック・エアと契約しているバンの運転手だ」と言う。看板の裏に貼られた今日の「国際線」の乗客リストで私の名前をチェックして、その辺りで待っていろと言う。リストをちら見すると、今朝の「国際線旅客」は私の他に7,8人はいそうだ。
他の乗客をぼんやり待って1時間半が経過する。日本人以外は到着ビザの申請・受領で入国に時間がかかるのだ。しかしこれは最初から「国際線」の運航スケジュールとして旅程表に書かれていた時間どおりなので、文句は言えない。しかし待っている間にジャンボ(タイのトゥクトゥク)やタクシーがどんどん出発している。別途、格安のジャンボ運賃を払って移動したほうがよっぽど快適にそして素早くビエンチャン市内に到着できるようにも思える。そしてようやく「国際線旅客」が全員揃い、バンが出発する。
ビエンチャン市内までに30分余の間に考えた。結果的にすべてのスケジュールは「国際線」の旅程表通りに進んだ。フライトとバン・バスのオンタイムパフォーマンスだけではない。「(ウドンタニ)空港に行けば分かる」「到着空港で尋ねろ」「(友好橋横断の)チケットは買え」「(おしゃれ帽子のスタッフ)バスが待っている」と、ここまでで言われたことはすべて間違っていなかったのである。結果としてバスチケットがないぞ、案内がないぞ、騒いでいたのは杞憂に終わったのであった。しかし、である。いったい誰がこの「国際線」のチケットを買うのか。国内線のバンコク〜ウドンタニを買って、自力でバスを乗り継いで国境をわたり、ビエンチャンに向かった方が、はるかに安くて速い。陸路の国境通過の手続きも決して難しくない。そもそも国境通過はどこでも自力である。それを考えるとこのノック・エアの「国際線」チケットを買うのは、よほどの無知か、心配症か、物好きな旅行者だけではないのか、と思えてきた。そしてノック・エアがバンコク〜ビエンチャンを「国際線」して堂々販売することは、エアラインのマーケティングの許容範囲内なのか?単に国内線航空券とバス移動をセットにする売り方にしては、少々見せ方が荒っぽい気がしないではない。旅の世界はいつまでたっても知らないことだらけである。
そんなことをぼんやり考えているとビエンチャン中心部に到着した。不思議なノック・エア国際線体験はこれで終了である。ドライバーであるおしゃれ帽子のお兄さんが満面の笑みで日本語で「サヨナラ〜」と手を降ってくれるので、モヤモヤした気分も吹っ飛ぶ。なるほどこれがインドシナ風の鷹揚さなのかもしれない。
数日間ビエンチャンに滞在するが、ここはかつて欧米の有名なトラベルガイドで「世界で一番ヒマな首都」と表記されていた場所である。正直見どころはあまりないが、訪れた人は皆、街ののんびりとした空気感とラオス人の優しげな表情や立ち振舞に落ち着きとやすらぎを感じるのは間違いない。それこそが最高の「見どころ」なのかもしれない。経済の発展度の割には物価にあまり割安感がないのが気になるが、それでもビエンチャンには欧米人のバックパッカーが多い。東南アジア旅行の最終地点として長期滞在する人も多いのだという。メコン川のほとりの屋台で川面に沈む夕日を見ながら、その穏やかさから、この土地を桃源郷と感じ、魅了される長期旅行者の気持ちが少し分かる気がする。
帰路はビエンチャン・ワッタイ国際空港からバンコク・スワンナブーム国際空港まで、バンコク・エアウェイズの直行便に搭乗する。ワッタイ空港ターミナルはかなりの規模感があり活気がある。のんびりした首都だと言えども、国を代表する空港の面目躍如といったところか。別棟の国内線ターミナルにも発着路線は多く、ラオスが山岳国家であり、現代では航空が重要な交通インフラであることが分かる。
ターミナルの向こうにはラオス国営航空の機体がゆったりと発着しているのが見える。ラオスのもう1社の定期便エアライン、ラオスセントラル航空は2014年の春より運航を停止している。経営上の問題が理由だという。空港ランプの端にエンジンカバーをかけられた同社の機体が駐機しているのがなんとも淋しげである。そしてラオス国営航空のチケットは、特に競合するタイのLCC各社と比べると、少々割高である。インドシナ地域全体の航空産業の競争がこんなところにも影響している。
それでも次回はラオスの航空会社に乗りたいと思う。エアラインはその土地のスピリットを世界に知らしめる、重要な機会と責務と担う存在なのだ。ラオスの航空産業が地域の中で独自の存在感を高め、近い将来、東南アジアの空にラオス流のホスピタリティで一石を投じるなどしてくれたらさらに楽しいと思うのは、一旅人の勝手な願望である。その時には往路に使ったノック・エアの不思議な「国際線」はどうなってしまうのだろうか。なくなっても困る人はあまりいそうにないのだが、交通機関の路線やサービスの変化から世の中の変化を感じるのも、旅の楽しみの一つである。