京都は鴨川にかかる四条大橋のたもとにたたずむ東華菜館。
大正15年建設で、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏です。スパニッシュ・バロック様式の洋館で、創業当時からあるエレベーターは、日本最古と言われています。国の登録有形文化財の指定を受けている北京料理の名店を訪ねてみました。
クラシックなエントランスに期待が高まります。鴨川べりでひときわ目立つ“洋館”ですが、ファンシーな外観に比べて、エントランスまではシンプルな作りです。
エントランスを入ると、すぐ右にありました! 日本最古の現役エレベーター。
わぁ、ガラス戸の向こうにパリの古いアパルトマンなどによくある、蛇腹で閉めるドアが見えます。
オペレーターさんが、絶妙のハンドル操作で運行してくれました。スーッと動いてスーッと止まる、新品顔負けの乗り心地。メンテナンスと、ハンドル操作の妙で、大正生まれのエレベーターとはとても信じられません。
東華菜館は、ビアホールブームが興った大正13年、「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージして、設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼。大正15年に、スパニッシュ・バロックの洋館が誕生しました。
西洋料理店にしては、渋い店名の「矢尾政」は、徐々に濃くなる戦時色の中、洋食レストランとしては、営業できなくなります。困った浅井氏は、この建物を中国人の友人・于永善氏に託します。
中国山東省出身の于永善氏は、大連で北京料理のベースである山東料理を修得し、昭和20年末、北京料理店の「東華菜館」が誕生することになりました。
設計を担当したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年アメリカ生まれの建築家であり、プロテスタントの伝道者でした。英語教師として来日しますが、1908年(明治41年)京都で建築設計監督事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を1500件以上手がけました。
その活動は建築にとどまらず、メンソレータムの販売(現・近江兄弟社)や学校経営、教会、YMCA活動、結核病院経営など多岐にわたりました。事業は「職業を通じて、キリスト的生活を実践すること」を目指した、彼の伝道活動そのものでした。
1941年に日本に帰化してからは、華族の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗ります。「米来留」とは米国より来て留まるという洒落だそうです。
近江商人発祥の地である、現在の近江八幡市を拠点に活動したことから、「青い目の近江商人」とも呼ばれました。また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したため、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されています。
そのヴォーリズの作風は、依頼者の求めにふさわしい様式を使い、住み心地のよい能率的な建物を目指したそうです。今年89年目を迎える東華菜館。客席も高い天井の、心地よい空間が広がっています。
「京都で北京料理
夏は川床も屋上ビアガーデンもやってます! 立派な店構えと庶民的なメニューから高級メニューまで兼ね備えた東華菜館。ぜひ一度、「日本最古の現役エレベーター」を体感してみてください。