「スパイスジェット」のバンコク発チェンナイ行きのフライトは飛行時間が3時間ちょっとなのだが、出発が未明の3時55分、到着が現地時刻で5時55分と、私を含む多くの一般旅行者には「いったいいつ寝るんだよ」とツッコミたくなるような厳しいスケジュールである。
機内は南アジア出身者の風貌(おそらくインドの人)の旅客が98%以上を占めている。ぱっと見だけでもかなりアウェイ感が高い。ほどんどの人はとても眠そうだが、それでも有料の機内食を甘い炭酸飲料と共に盛大に食べている強者もいて、そのパワーに圧倒される。
スパイスジェットは旅客数ではインドで4番目に大きいエアラインだ。広告にはロードファクターがインドで最高、とあることから、路線や運賃のマネージメントに長けているのだろう。深夜・未明の時間帯の運航スケジュールも緻密な計算の結果なのかもしれない。しかしそこはやはりLCC。機内サービスは実に質素で、国際線の3時間超のフライトでも無料で提供されるのは紙コップの水だけである。まさかそれで他のLCCよりサービスをが良いなどと言うんじゃないだろうな、と少し斜に構えたまま、眠れぬ機内の時間を過ごす。そして暇にまかせて「いくら香辛料のインドでも『スパイスジェット』というネーミング、それってどうなんだ」と一人苦笑いしたりもする。
チェンナイ国際空港に到着すると、ターミナルビルの大きさに圧倒される。巨大だが、内部はなんとなく薄暗く、華やかさはまるでない。インドっぽいと言えば、インドっぽい…。イミグレーションの係官には覇気がないが、それが日常なのか、夜明け前の時間帯だからかは分からない。それでもそれなりにテキパキと手続きが終わり税関を抜けて到着ロビーに出るが、全体的に穏やかな空気が流れていて、いわゆる南アジアの「混沌と灼熱」はほとんど感じられない。いざインド上陸、と気合を入れて来たのだが、正直、拍子抜けである。
チェンナイ国際空港から市内までの交通手段はタクシー、バス、鉄道があるが、時間も十分あることだし(なんと言ってもまだ午前6時台)、なんと言っても私はコストコンシャスなトラベラーである。迷わず鉄道を利用することにする。現在建設中の高架鉄道の新空港駅の先にある、かなり地味なローカル線の駅に向う。切符売り場でホテルの最寄駅ではなく、街の中心ということでチェンナイ中央駅までの切符を買うと、30分強の乗車で運賃は5ルピー(約8円)。初めての土地でも、このあたり行動や判断は旅人の嗅覚をフルに働かせることで、なんとかなるものだ。
列車内は通勤客でそれなりに混雑していて、その風貌からこの街には都会の会社勤務者が多いことが分かる。一方で、列車のドアは走行中も盛大に開けっぱなしだったり、満員の車両の床に汚れたサリー姿の親娘が寝転がっていたりもして、少なからぬ驚きはあるが、その程度のことにはすぐに慣れるから不思議だ。それは車内の大多数の人々の穏やかな風貌や物腰からくる安心感からかもしれない。
街の中心部に到着するが、さて、やることがない。ホテルのチェックインにはまだ早いし、とりあえずどこかで朝食を取って、街を散策することにする。
チェンナイはかつてマドラスと呼ばれた港町である。古くから日本とも海路で繋がっている。そこに由来する「マドラスチェック」というファッション用語を耳にしたことがある人も多いだろう。そんな港町らしく、旧市街の通りの卸業の看板を眺めるだけでも、ここが古くから物流の拠点であることがよく分かる。狭い路地には廃棄物などが山積みにされ、スラムに近い生活を営む人たちも多く見かけるが、街全体には活気があり、人々の経済活動が極めて活発な印象だ。そして小さなカフェや屋台が数多く営業し、多くの人たちがそこで思い思いに食事をしたり息をついたりしている。チェンナイは人の生活の気配が感じられる、小気味の良い都会なのだ。
ふと目にした食堂に立ち寄り、周囲のローカル客の真似をして南インドならではのクレープのような料理「ドーサ」とコーヒーを注文する。外国人はあまり来店しないのか、ウェイターの面々はなんだか嬉しそうだ。そして興味津々で仕事そっちのけであれこれと話しかけてきたり、別メニューを勧めたり、写真を撮ってくれとせがんだりする。それは混乱などとは程遠い、ゆったりとした穏やかさで、なんとも居心地がよい。
食堂の面々に豊かな朝食と楽しい時間に礼を言い、プラプラと歩みを進める。オートリキシャのドライバーが街をガイドするから乗れ、乗れ、としつこく声をかけてくるが、要らない、ときっぱりと言うとすぐに諦めて引き下がるのが少し意外だ。
路地を抜けるとヒンズー教の寺院の前に出る。信者たちが「寺の中に入れ」と手招きをするので、靴を脱いで境内に入る。ヒンズー教徒でないので神殿には入れないが、周囲を歩き、覗き込むのは構わないという。境内ではたくさんの人々がそれぞれに祈りを捧げている。山車のようなものの上に立つ、位が高そうな僧侶(見た目にもインパクトがある)には人々の畏敬の眼差しが集まる一方、若い僧らは修行の一環だろうか、数人で床に車座になり経を唱え続けている。中でも最も若い風貌の僧が経文をスマホの画面から読んでいるのが印象的だ。ここにもカオス、喧騒、灼熱などといったステレオタイプのキーワードは当てはまらない。極めて秩序だった真摯な祈りの世界、という印象だ。
旧市街の「Holi(ホーリ)」の祭りに出かけることにする。この年に一度のヒンズー教の祭りは、原色のカラーパウダーを互いの身体に投げ合うことで知られており、人々は性別や年齢、カーストや職業による社会階級などを越えて、誰に対しても「色」をつける、いわば「無礼講」が許される。「Holi」はインド全土で祝われるが、北部では特に伝統に則ったしきたりでの開催となる。南インドのチェンナイでは北部ほどの規模や伝統様式ではないというが、それでも市内の北部出身者が多く住むソウカーペット地区を中心に、華やかに祭りが行われる。早朝から盛り上がるというので足を運ぶと、さっそく街行く人の顔や服が色鮮やかにカラーリングされている。誰もが自由で開放感いっぱいで、とにかく楽しそうだ。通りにいる人たちの表情には伝統的な宗教行事という雰囲気はほぼないが、若い人にとってはエネルギーの発散の場でもあろうことを考えると、社会のイベントとして意味は大きそうだ。地元の若者たちが私の顔やカメラに向けてあまりに大胆にカラーパウダーを投げつけるので、思わず「もうイイ、やめてくれ」と言うと、皆ハタと驚き立ち止まり、「Holiのカラーパウダーを拒むなんて・・・」と、なんとも悲しげな顔をする。Holiが外国人との垣根さえもなくなる楽しき無礼講のひと時であることを思い出し、その後、慌ててあらゆる色のパウダーを全身で受け止めるのは言うまでもない(カメラのクリーングのことはとりあえず考えないことにする)。
自然素材だというカラーパウダーは、何度シャワーを浴びてもなかなか落ちない。しかしそれも旅の思い出か、と諦め、額や手が少しピンクがかったまま空港に向かう。数日間のチェンナイ滞在を終え、再度「スパイスジェット」で帰路に着くためである。
到着時にゆっくりと見ることができなかった空港ターミナルを改めて眺めると、小ぶりの古い旧ターミナルの両脇に巨大な国内線ターミナルと国際線ターミナルが繋がっている。繋がっている、といっても国内線と国際線のビルは500メートルほど離れているから、空港全体の規模感がわかるだろう。実に壮大なのである。
ターミナルビルには旅客以外は入れない。到着旅客は一度出たら再入場はできず、出発旅客も一度ビルに入ったら再度外に出ることはできない。セキュリティースタッフは自動小銃を抱えてビル内外をパトロールするほか、各所にスナイパーのような体勢で銃を構えるスタッフもいる。そしてこの空港では、ターミナルの外やチェックインロビーからまったく航空機が見えないことに気づく。出発ゲートでさえもかろうじて自身の搭乗機がちらりと見えるだけだ。保安目的の意図的な設計であるに違いない。インドの主要空港は国策で建設されており、インド政府は「その設備は世界一」と豪語している。その「世界一」がセキュリティー体制のことであれば、その徹底ぶりに感心せざるを得ない。
ターミナル内部も実に規模感があり、その広い空間から(出国手続きの行列を除いて)混雑はほとんどない。しかし、レストランやカフェを含むアメニティが極めて限定的で、日本や東南アジアの利便性の高いメガエアポートに慣れた身としては、思わず笑ってしまうほどやることがない(ちなみにアルコール類の販売も一切ない)。政府が造るハコモノとはこういうことか、などとも思ってしまう。
暇を持て余す中、スパイスジェットのフライトが定刻に出発なのが心の救いだ。しかしこれだけの大空港で搭乗橋のあるゲートも空いているというのに、やはりLCCのコスト管理なのだろうか、深夜の搭乗便はバスゲートからの出発である。機体に向かうランプバスから過剰な照明で光り輝くターミナルを振り返ると、うむむ、やはり巨大である(そしてしつこいが、搭乗ゲートはいくつも空いている)。この極端なアンバランス感こそが、現代のインドなのかもしれない。
若く明るい表情のCAたちに迎えられてバンコク行きのフライトのシートに座る。また一つの旅の終わりの始まりである。勝手な思い込みでカオスに満ちた「混沌と灼熱」を期待したインドだったが、蓋をあけてみるとチェンナイの人たちは穏やかで優しく前向きで、時に礼儀正しく伝統を尊ぶ人ばかり。そして食は豊かで、気温は高くも、概ねどこかのんびりとした空気が流れる心地よい土地であった。それはおそらく南インド、そして港町チェンナイの特徴なのかもしれない。
ふとシートポケットに目を落とすと、機内誌がある。そのタイトルは「Spice Route(スパイスルート)」。そうか、そうだったのか!香辛料(スパイス)は東西交易の歴史の中で、インドを広く世界に知らしめたもの一つ。南インドはかつてスパイスを全世界に運んだ拠点なのだ。そしてその世界の交易ルートは「Spice Route」と呼ばれた。「スパイスジェット」の社名は、「インド=香辛料」という単純な発想だけではなく、同社が現代のインドと世界の交易ルート、すなわちスパイスルートとなるべく付けられたのかもしれない。CAの深紅の制服の袖や背中には、「Red, Hot, Spicy」と同社のキャッチフレーズが描かれている。同社はインドと世界の航空業界においてピリリと際立つスパイスのような存在になることを目指し、そのビジネスを拡大しているのだろう。
今回の旅では南インドの街と人々、そしてスパイスジェットから、動き続ける21世紀のインドの一端を見た思いだ。インドを訪れると、もう二度と行きたくないと思うかハマるか、どちらか、とはよく言われること。私はどうだろうか?正直、(今は「インド的なもの」で少々お腹がいっぱいで)とりあえずはどっぷりハマる気分ではないが、この先ダイナミックに変化するだろう、この土地に改めて興味を持ったことは確か。そして次回はぜひ南インド以外にも足を踏み入れてみたいものだ。そこにさらに濃密で無秩序なパワー、そして「混沌と灼熱」を期待するのは、旅人のわがままだろうか。