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過去と未来が共存するペナン島

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マレー半島の西側、マラッカ海峡を挟んでインド洋に浮かぶ島、ペナン。この島がどんなところかと人に尋ねると、その答えは、東南アジア屈指のビーチリゾートアイランド、ヨーロッパ列強のかつてのアジア進出の拠点でインド洋海上交易の要衝、シンガポール建国のモデルとなった島、マレーの歴史と文化を体感できる土地など、実にさまざま。面積が東京23区ほどの小さな土地にも関わらず、これほど多様な印象や側面を持つことも珍しいのではないだろうか。そんな少々の謎と魅力に満ちているように思われるマレーシア、ペナン島が実際にどんな所か確かめようと、島の「ジョージタウン」の旧市街を訪れることにした。搭乗するのはマレーシアのLCC2社。インドネシア資本のマリンド・エアとマレーシア航空の子会社ファイアーフライ。

旅の始まりはマレーシア首都のクアラルンプール(KL)国際空港。ここにはKLIA1、KLIA2と呼ばれる2つの巨大国際線ターミナルが、広大な敷地にまるで別の空港のように離れて建っている。その距離は約1.6キロメートル。それぞれの名称は「クアラルンプール国際空港ターミナル1」「ターミナル2」を意味するのだが、施設としては「第1国際空港」「第2国際空港」と呼べそうな独立っぷりである。KLIA1はマレーシア航空を含む世界中のエアラインが、より規模の大きいKLIA2はLCCターミナルとも呼ばれ、エアアジアグループのフライトがほぼ専用で使用する。この分かり易い住み分けの状況は、現在のマレーシアの航空事情を端的に表しているとも言える。

両ターミナルとも建物と運航規模が圧倒的にデカい。ターミナルの天井が高いのはコスト効率や利便性よりも宮殿や大モスク建築のような威厳と唯一無二の空間を生み出すための意匠のように思える。就航フライトはマレーシア国内、東南アジア域内、東アジア、南アジア、そして全世界へ、小型機から大型機まで分刻みで離発着を繰り返している。KLは地理的にも東南アジアの中心地。KLIAはアジアのメガ・ハブ空港として、地域のど真ん中に君臨しているかのようだ。

マリンド・エアが発着するKLIA1のゲートで搭乗を待つ。大きな窓の下に並ぶ座り心地の良い椅子では旅客が三々五々、のんびりと時間を潰している。内訳は東南アジア・東アジアからと思われる旅行者が約半分、ヨーロッパ人の風貌の旅行者が約2割、国籍を問わずビジネスパーソンの出で立ちの人々がおよそ3割といったところ。KL〜ペナン線はマレーシア国内の主要路線だそうだ。需要も高く会社間での競争も熾烈であることが想像できるが、競合路線の割には客層の比率が良いように思う。

搭乗が始まりターボプロップATR-72に乗り込む。機体は真新しく、乗務員も若く覇気がある。その勢いにつられてか旅客の気分も上がり気味だ。ほぼ満席の客室全体が穏やかな活気に満ちている。

マリンド・エアは インドネシアの格安航空会社・ライオン・エアと、マレーシアの航空・防衛企業が共同設立したマレーシアのLCC。LCCと言っても運賃は格安のまま、座席ピッチ・幅は広く、全席にパーソナル・モニターを設置し、預け手荷物も15kgまでフリー。スナックとドリンクも無料で提供し、全便でビジネスクラスも設けている。地域の格安航空会社のサービスレベルを超える(より具体的には最大手のライバル、エアアジアとは一線を画す)ことで、人気を獲得しているそうだ。社名の「マリンド」は「マレーシア」と「インドネシア」のそれぞれの冒頭を組み合わせたものだという。

勢いのあるエアライン独特の前向きで明るいエネルギーに巻き込まれ、まるで乗務員に手を引かれるように、機体はわずか1時間でペナンに到着する。気持ちの良い旅の始まりである。

ペナン空港はマレーシア国内の重要な航空拠点の一つ。国内線と国際線が数多く就航し、さまざまな旅客で賑わいを見せる。ターミナル設備は充実し、レンタカーやツアーのカウンターなど観光客向けのサービス施設と、ローカルやビジネスパーソン向けの機能的な施設のバランスが良い。

「さて、到着したものの、どうしたものか」と、到着ロビーで立ち止まる。いつものように事前に行程の準備などしていないので、空港から街までの移動からして行き当たりばったりである。目的地はペナン島の中心で観光地でもあるジョージタウン。住宅・商店・病院・官公庁などの都市基盤が整備されている、島北東端にある人口約40万人のエリアで、首都KLに次ぐマレーシア第2の都市でもあるペナンの中心地だ。このジョージタウンの旧市街がユネスコの世界遺産にも登録される歴史地区となっているというので、取り敢えずそこに向うことにする。

空港からの交通手段は所要時間約1時間の路線バス「rapidPeneng」か、高速道路を20分ほど走るプリペイドの空港タクシー。料金は前者が2.7RM(マレーシアリンギット、約70 円)、後者が45.59RM(約1,300円)。その大きな差が東南アジアらしい。少し悩んでタクシーに乗車する。バスの車内や車窓からのんびりとその土地を眺めるのも良いものだが、はやる気持ちに素直に従い、とりあえず早く目的地まで足を進めるのも旅のスタイルとして好きだ。

到着したジョージタウンの旧市街には2階建ての低い建物が通りを埋め、小さな商店や会社事務所などが軒を連ねている。街全体にここがインド洋の海洋交易の要衝だったころの雰囲気が残り、マレーの港町の風情をたっぷりと感じられる。建物は一見、中華風のものが多いように思えるが、どれもマレー独自のデザインで、西洋的なエッセンスも感じられる。通りを進むと、かつての邸宅が博物館になっていたり、昔からの商店がそのまま食堂や現代風のカフェになっていたりと、不思議なタイムスリップ感がある。古い建物には観光とは直接関係のない貿易などの仕事を続けているところが数多くある。歴史とリアルの生活、観光ビジネスと非観光産業がバランス良く自然に混在しているところが魅力的だ。食堂や屋台では地元産のシーフードを中心にさまざまなメニューが展開され、中華・マレー・インドなどの味を自在に楽しめる。これらも観光客の食欲を満たすだけでなく、地元の人々の毎日の食を支えるものであることが嬉しい。ここでは旅行者が、他の場所からの来訪者としてと同時に、ローカルと同じようにも日常を楽しめるのだ。

ジョージタウンでは歴史的にヨーロッパから影響が絶大で、それは複雑だ。わずか200年前はほぼジャングルだったというペナン島は、その位置がマラッカ海峡の入口にあたるところから、19世紀のイギリスのマレー支配の一環で植民地化された歴史がある。街の名も当時の国王ジョージ4世から付けられた。植民地経営を担ったのはイギリス東インド会社。17世紀から19世紀半ばにかけて、オランダなどと競い合いアジア各地の植民地経営や海上交易を展開したあの勅許会社である。その会社が19世紀にアジア進出の前進基地としたのがマレー半島で、1826年にこのペナンとマラッカとシンガポールを拠点に「海峡植民地」を形成したのだ。しかし当然のことながら、ペナンの歴史は当然、それ以前もそれ以後にもある。その歴史の流れを少々乱暴に言うと、11世紀頃からマレーの王国の領地 → 16世紀ごろにポルトガル人が到達 → 18世紀までにオランダやフランスなどが到達するも、イギリスが「所有権」を獲得 → 20世紀に日本(軍)が占領 → 1957年にマラヤ連邦の一部として独立 → 現在に至る商業の発展やリゾート開発、となる。

インド洋の東端、マレー半島沖の独立した島、マラッカ海峡の入り口という地理的な特徴から、ここがいつの時代にも貿易や軍事において戦略的に重要な役割を果たし、結果、極めて多様な文化が入り込み交流し、それらが混じり合い独自の文化を形成していったことが想像できる。海のクロスロードとも言えるこの土地とここを行き交った人々は、東南アジアの幾多の歴史の波を通り過ぎてきたのだろう。様々なものを受け入れてきたペナンの人々のDNAには、多様性の中で生き抜き自らのアイデンティティを守る術が刻まれているに違いない。

実際、ジョージタウン旧市街を歩くと、世界遺産に登録された歴史地区ではあるが、過剰に観光産業が展開されておらず、人々の日常生活があたりまえに続いていることが印象的だ。多くの住民は世界遺産登録などにはさほど関心がなさそうな振る舞いで、古いものも新しいものも大切にしている。街中に植民地時代に建てられた荘厳とも言える建物をそのまま使うホテルや、イギリス東インド会社が残していったコーンウォリス要塞(Fort Cornwallis)などが数多く残る一方で、海岸に出てみると、数キロ先にペナンの新市街の高層ビル街が見える。その風景からは資本と情報が集積される国際港湾都市特有のエネルギーが感じられる。さまざまな出来事をくぐり抜けてきたペナンは、歴史をレスペクトしながら多様性へ適応しつつ、都市としての進化を続けているのだ。

旧市街の細い通りを歩いていると、突然の雨が降ってくる。マレー風の建物が濡れ、壁の色が一段と濃くなる。軒から流れ落ちる雨粒で路面のにぶい輝きが増し、雨が止むまで街の動きがしばし止まるのは、アジアの熱帯特有のゆるやかで美しい景色だ。そのように昔から変わらぬ自然の姿の中に、長い時の移り変わりを当事者として見続け、さまざまな人たちが去来したジョージタウンの持つ土地のスピリットが浮かび上がってくるようだ。ここは国際的な観光地でありながら、そこに暮らす人々の肩からは力が抜けていて、それでも来訪者をもてなすリソースがしっかりと整うという、なんとも豊かな土地。海のクロスロードであり、文化的多様性の宝庫なのだ。

わずか数日の滞在で、この街に想像以上に深い趣と歴史が息づいていることを知った。それは旅でしか味わえない新たな発見だ。そんな充実感を胸に、帰路につくために空港に向かう。道中、海沿いの高速道路を進むと、マラッカ海峡にペナント島とマレー半島をつなぐ美しく長大な橋が2つかかっているのが見える。かつて、インド洋に浮かぶ島であるからこそ発展したペナンは、今やマレーシア半島と陸続きなのだ。絶え間なく続いてきたペナンの変化と進化の証の一つだ。

ペナンからKLに戻るフライトは、ファイアーフライを利用する。マレーシア航空が全資本を出資する航空会社である。自らをLCCではなく「コミュニティエアライン」と呼んでいるが、実質的には地域の短距離路線のLCCだ。出発ゲートでは同社の国内と国際線フライトが頻繁に発着しているが、やはりKL行きの便が多い。到着機が遅れても、そもそも短いターンアラウンドタイムをさらに縮めて折り返しの出発便をオンタイムに戻そうとする努力は、日本の国内線のようである。需要の拡大や競合を通して、マレーシアの航空産業が高効率化そして成熟に向かっているのかもしれない。

機内に乗り込む。機材は往路のマリンド・エアと同じATR-72型機である。客室ではオーバーヘッドビンや機窓周りがびっしりと広告で埋め尽くされているのが強烈だ。シンプルでスッキリとした往路のマリンド・エアと比べると、同じ路線・同じ機材、そしてほぼ同じ運賃で飛ぶ 2つの国内LCCの大きな差には少し戸惑うが、経営戦略やカスタマーサービスのコンセプトが根本的に違うのだろう。クルーは鮮やかなオレンジ色のユニフォームに身を包み、サービスの質は高い。やはりたった1時間のフライトでありながらも、ドリンクサービスがある。因みに社名のファイアーフライは「蛍」の意味で、機敏な動きや美しさ、楽しさを表現するという。

到着はKLのスバン空港だ。KLIAが1998年に開港するまではKL唯一の国際空港であり、KLIAが市内中心部から約77km離れているのに比べその距離が約15kmであることから、現在は「シティエアポート」の位置付けで、プロペラ機の定期便、政府専用機、特別機などが発着する。マレーシア航空とファイアーフライの本社もこの空港にある。

このスバン空港、かつては3つあったターミナルも現在は1つだけが供用中なのだが、それでもその規模と空港機能の充実ぶりはさすが旧首都空港である。市内までもタクシーですぐであることからも、忙しいビジネスマンなどがKLIAよりもこちらも好むであろうことが想像できる。参考までにスバン空港とKLIAを結ぶエアポートバスの運賃は10RM(約270円)。所要時間は1時間〜1時間半である。

駆け足でジョージタウン旧市街を訪れる駆け足の旅だったが、ペナンと東南アジアの歴史の一端を再認識し、マレーシアの最新の航空事情を体験する機会となった。やはり人の移動や移動手段の変化は、そこに住む人々の長い歴史や文化に強く紐付いている。海のクロスロードであるペナン、そしてマレーシアを中心にした地域の空の旅の変化と進化は、これからも続いていくだろう。


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