旧ユーゴ(ユーゴスラビア)の一番北にあるスロベニア共和国。旧チェコスロバキアのスロバキアとよく間違えられるが、国土はチェコには面しておらず、北はオーストリア、南東はクロアチア、西は少しだけイタリアに面し、一番西欧に近かったこともあり、旧ユーゴから最初に独立できた国である。
旧ユーゴと言えば、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどの紛争のイメージが強い。しかも私がスロベニアに行ったのは、まだその紛争が治まって10年も経たない2006年。スロベニアはEUに加盟したばかりで、通貨はまだユーロではなく、通貨統合に期待を膨らましていた時期だった。
ロンドン留学からの帰国直前にヨーロッパ旅行をすべく、チェコ、ドイツ、オーストリアと巡り、ザルツブルクから列車でスロベニアの首都・リュブリャナに到着した。
社会主義国家でありながらソ連とは一線を画し、チトー率いるモザイク国家と呼ばれ、チトーの死後には民族紛争という運命をたどった旧ユーゴの国に行くのは初めて。ほかの東欧諸国に行ったときのことを思い出すと、いったいどんなハプニングが起きるやらと覚悟はしていた。
しかし、リュブリャナの街を歩くとそのような懸念はまったく払拭された。雰囲気は東欧の小イタリアといった感じ。
小さな国の小さな首都の中はおしゃれなショップが並び、かといって西欧のような騒々しさがなく、イタリアの影響を受けているのか、スロベニア人のファッションも予想以上に洗練されていた。
不思議なことに街のいたることにハートマークがある。宿の人に聞いてみたら、どうやらハートがこの国のシンボルとのこと。「ハート=愛よ!」と言っていた。
夜になり、レストランへ繰り出す。治安に不安を覚えることもなく、路上にテーブルが置いてあるオープンエアなレストランの雰囲気はまったく西欧と同じ。味覚もイタリアの影響を受けているのか、パスタが美味しい。
リュブリャナはおしゃれで、美味しくて、西欧のような賑やかな、ざわついた感じもなく、少々物足りないと感じる人もいるかも知れないけれど、のんびりヨーロッパの雰囲気を味わいたい人にはオススメの街だ。
翌日はリュブリャナの北西にあるブレッド湖へ列車で移動。湖まではさらにバスで移動だ。バスを待つ間に水を買おうと近くの商店に入ると、店主と地元のおじいさんが会話をしていた。すると、きちんとした英語で「どこから来たのかね?」と聞かれる。「日本ですよ〜」と答えると、「おー、よくそんな遠くから来られたね!」とアメ玉を渡された…子供に見えたのだろうか?
さらにバス停で待っていると、向こうから小柄なスロベニア人女性がやってくる。そのまま通り過ぎるのかと思ったら、突然、流暢な日本語で話しかけられた。まさかスロベニアで、しかもブレッドという地方で日本語を話せるスロベニア人に出くわすとはかなり驚いた。
どうやら彼女はフィアンセが日本人男性らしく、もう数ヶ月後には日本に移住するとのこと。まさにスロベニアの花嫁である。日本語は流暢、小柄で見た目も典型的なヨーロピアンというよりは、東の素朴なスラブ語圏の人という雰囲気で、きっと彼女なら日本に馴染めるのではないかと思った。今も彼女は日本で幸せに暮らしているのだろうか?
ブレッド湖に到着。
空も水面も美しい。こじんまりしているけれど、静かな佇まいの湖。
湖の真ん中には教会が浮かんでいる。今まで湖をいろいろ観てきたけれど、これだけ自然と歴史が調和した静かで美しい湖はほかにはないだろう。
今もこの佇まいが同じであればよいのだけれど…。
その後、リュブリャナにいったん戻り、列車でアドリア海に面した町・ピランへ。観光地ではあるものの、のんびり静かな港町という雰囲気で寛げる。
ここの海は砂浜ではないけれど、アドリア海があまりにも綺麗で、私も泳ぎたくなってきた。でもヨーロッパ旅行で泳ぐ想定がなかったので水着がない。ショップを探したけれど、サイズが合わない。でも、泳ぎたい!
ここはヨーロッパ、それぞれが自分の価値観で決めるところだ。どうせ子供みたいなアジア人のことなんて誰も見やしないだろう!と思うことにし、My下着でアドリア海へダイブ! ちょっと冷たいけど、気持ちがいい。南国の海の気持ち良さとはまた別の気持ちよさ。一生に一度あるかないか、無理(無茶?)してアドリア海に入ってよかった!
お宿はお約束通りバックパッカー宿。同室はスロベニア人の女性だった。
ここぞとばかりに、スロベニアについて質問してみる。中でも一番不思議だったのが、その辺を歩いているおじいちゃんも、商店のおばちゃんも、出会うスロベニア人、皆英語が話せたこと。彼女によれば、スロベニアは小さな国でこれといって産業もない国だから、母国語以外にも英語ができないとお話にならないそうだ。また、人々が非常に親切なのは「旅人に親切たれ」という教えがあるからだそうだ。いろいろな話を総合すると、どうやら旧ユーゴの国々の教育水準はかなり高そうだ。そんな国でも民族紛争が起きてしまうのはなぜだろう…。
さて、翌日には船でベネチアへと向かう。念のため、予約しておいた船の船着場へ行ってみたら、明日の船の出港は乗客が少ないので中止になったという。しかも、明日は日曜だからイタリア行きの列車もないらしい……え、ではどうすれば私はイタリアへ行けるの? ベネチアの宿ももう取ってあるし…。
旅行会社に慌てて駆け込み、「タクシーでイタリア・トリエステまで行って、そこから列車しかない!」と言われ、幸か不幸か朝6時出発のタクシー予約完了(しかも案外安かった)。船でアドリア海を渡る夢、もろくも崩れる…。
翌朝、セダンではなくワゴンのタクシーがきちんと待っていてくれた。タクシーの運転手は元タンカー船長で日本にも訪れたことがあるらしく、いい人だった。しかもタクシーで国境越えというまたとない体験(ハプニング?)もできたから、スロベニア旅行の締めよし!としようか。
ご参考までに:
ユーゴスラビアの歴史を感覚的に知りたい方には映画『アンダーグラウンド』(http://www.eiganokuni.com/ug/)がオススメです。映像から音楽、ストーリー展開すべて度肝を抜く映画。単なるブラックユーモアだけでは終われない、ユーゴスラビアの悲しい歴史を不思議な感覚で体感できる映画です。