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名城の誇り 熊本城の大城郭を仰ぐ

名古屋城、大阪城と並んで日本三名城とよばれる熊本城。
威風堂々とした大天守閣、小天守閣をはじめ49の櫓と18の櫓門、その他29の城門を構える城郭は日本城郭史上でも最も堅牢な城といわれる。
築城400年を機に復元整備された本丸御殿が完成。城主・加藤清正公が創建した当時の大広間も蘇った。この比類なき肥後名城の勇姿を、堅牢な石垣から仰ぎ見た。

Photo=佐々木龍

豪華絢爛 歴史の波乱と栄華が伝わる本丸御殿の大広間

日本の城というと、何層にも櫓が組まれた見晴らしのいい天守閣を想像するが、天守は本来戦時のための拠点。城主が政務を行ったのは本丸、二の丸といわれる低層の御殿だった。

1877年の西南戦争消失し昨年130年ぶりに復元された熊本城の本丸御殿は、数ある城郭の中でも大名文化の粋を集めた建築美が自慢。藩主の居室のほか、4つの部屋が連なる大広間や吹き抜けの大台所、階下をつなぐ地下通路「闇り通路」などで構成され、今や天守閣とならび熊本城観光の目玉となっている。

藩主との対面所である大広間は、玄関口にあたる60畳の鶴之間から35畳の梅之間、28畳の桜之間、24畳の梅之間と連なり、藩主の居室である若松之間へと続く。

その隣にある金箔の障壁画と60枚の天井絵で飾られた絢爛豪華な部屋が、本丸の中でも最高格式の「昭君之間」。

本丸御殿のハイライト。極彩色の障壁画に中国の美女「王昭君」の故事が描かれた「昭君之間」。昭君は=将軍(豊臣家)の隠語との説がある

加藤清正が秀吉の息子秀頼を迎えるために造ったという逸話は有名だが、当時の岩絵具を用いて幻の絵師・狩野言信の筆が見事に再現されたふすま絵をながめていると、清正公がこの部屋に込めた思いまでが伝わってくるようだ。

本丸御殿大広間に上がるアプローチとなっている地階の「闇り通路」

配膳を行った大御台所の吹き抜け天井を支える巨大な赤松の梁

本丸御殿大御台所2階で熊本食文化を味わえる「本丸御膳」/3000円。要予約。問い合わせ:096-359-0363

圧倒的なスケールを誇る櫓群と堅牢な石垣

昼間の勇壮なイメージとは異なり、夜は天守閣、本丸御殿、飯田丸五階櫓などが幻想的なイメージでライトアップされる

天守閣からは市内が一望できる熊本城には年間80万人以上の観光客が訪れる。だが城内には復元された本丸御殿ばかりでなく、日本を代表する城郭として仰ぎ見たくなる遺構が数多い。

その最大の見どころが「武者返し」といわれる石垣だろう。下から見ると緩やかで登れそうだが、上に行くほど絶壁になっていることが名前の由来だ。

「二様の石垣」は見どころのひとつ

石垣には築城の名手といわれた加藤清正が近江国の職人を使って造った緩やかな勾配の石垣と、細川藩主の時代に建設された急勾配の2種類(「二様の石垣」)があり、これを同時に見ることができる。

そしてもうひとつ。本命の大天守、小天守に加えて他城にはない五階櫓が5基も見られるのも興味深い。とりわけ国の重要文化財に指定されている3層5階、地下1階からなる宇土櫓は、明治の西南戦争を乗り越えて残った貴重な多層櫓だ(トビラ写真)。

中に足を踏み入れると、当時使われたマツ、ツガ、クスなどの木材で組まれた梁や柱に「ちょうな」といわれる手斧で削った跡を間近に見ることができる。

再建された熊本城の正門・西大手門。この奥には入場門の頬当御門がある

築城時の木材や構造を今に伝える宇土櫓の急階段

築城の名手であり熊本城の初代城主でもある加藤清正。豊臣秀吉の家臣だったが関が原の戦い後は徳川家康に仕えた


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