スローライフが見直されているなか、
レトロな鉄道の旅が注目を集めている。
九州・肥薩線を行くいさぶろう・しんぺい号。
車窓から見える野山の風景が懐かしい。
単線レールの上を懸命に走る姿は子供のように健気だ。
鈍行列車で走るローカル線の旅。これは安全、効率を優先する
現代輸送に対するアンチテーゼである。
肥薩線で見つけた明治の面影
JR肥薩線。この名前を聞くと知っている人はたいていニヤリとする。トンネルとスイッチバックのループ線がある日本唯一の鉄道線路。肥薩線は鉄道ファンにとっては特別な存在らしい。
九州を縦断するJR線の熊本県・八代駅-鹿児島県・隼人駅を結ぶ約124km。球磨川沿いの八代-人吉間を「川線」、峠越えの人吉-吉松間を「山線」と呼ぶ。
ファンを魅了するのは山線で、人吉から吉松までの高低差430m、35キロ区間にトンネル、ループ線、スイッチバック、そして日本三代車窓など“中身の濃い”山岳路線を楽しむことができる。そのために専用ディーゼル観光列車「いさぶろう・しんぺい号」が走る。
だがそれ以上に人をひきつけるのは、肥薩線が物語る明治・大正・昭和の鉄道歴史ロマンだ。来年は肥薩線全線開通100周年。その夏には往年のSL「58654号」も八代-人吉間で復活する。肥薩線はまさに鉄道産業遺産の宝庫だ。
SL肥薩線物語の主役たち
トンネルと1000分の25(1000mで25m登る)の急勾配が続く人吉―吉松間。多くの犠牲を乗り越えて完成したこの山線の難所は、SL時代の機関士たちも苦しめた。
重い列車を引いて東京タワーを越える高低差を全力で駆け上がるため車輪の空転し、人吉駅から峠の矢岳駅まで休憩なしには登れなかった。スイッチバック式の大畑駅は当時の非力なSLには不可欠だった。
昭和30年~40年代この山線でSL機関士だった立山勝徳さん(72)は「SLの運転は二人の機関士の共同作業。コンビを初めて組むときは乗り組み祝いの儀式をした」と当時を振り返る。
スローな列車旅 目にしみる車窓風景
レトロなディーゼル観光列車「いさぶろう・しんぺい号」の峠越えはサービス満点だ。
人吉を出発して途中の大畑、矢岳、真中で停車休憩。乗客はその間に木造駅舎を撮影したり、SL展示館を見学できる。列車はその後汽笛の合図とともにスイッチバックしながらゆっくり吉松へと進む。
途中の峠越えの日本三大車窓ポイントでは、徐行して車内で観光案内のサービスもある。所要時間は約1時間半。たっぷりと鈍行列車の旅情が味わえる。
ちなみに列車の名前は明治42年開通時の逓信大臣・山縣伊三郎と鉄道院総裁・後藤新平の名前にちなんだもの。
また八代-人吉間の川線の楽しみは雄大な球磨川の渓谷をぬって走る車窓からの眺め。途中に明治41年製の鉄橋を2つ通過。こちらも普通列車で約1時間半の旅程だ。