圧倒的なスケールを誇る櫓群と堅牢な石垣
天守閣からは市内が一望できる熊本城には年間80万人以上の観光客が訪れる。だが城内には復元された本丸御殿ばかりでなく、日本を代表する城郭として仰ぎ見たくなる遺構が数多い。
その最大の見どころが「武者返し」といわれる石垣だろう。下から見ると緩やかで登れそうだが、上に行くほど絶壁になっていることが名前の由来だ。
石垣には築城の名手といわれた加藤清正が近江国の職人を使って造った緩やかな勾配の石垣と、細川藩主の時代に建設された急勾配の2種類(「二様の石垣」)があり、これを同時に見ることができる。
そしてもうひとつ。本命の大天守、小天守に加えて他城にはない五階櫓が5基も見られるのも興味深い。とりわけ国の重要文化財に指定されている3層5階、地下1階からなる宇土櫓は、明治の西南戦争を乗り越えて残った貴重な多層櫓だ(トビラ写真)。
中に足を踏み入れると、当時使われたマツ、ツガ、クスなどの木材で組まれた梁や柱に「ちょうな」といわれる手斧で削った跡を間近に見ることができる。
圧倒的なスケールを誇る櫓群と堅牢な石垣
天守閣からは市内が一望できる熊本城には年間80万人以上の観光客が訪れる。だが城内には復元された本丸御殿ばかりでなく、日本を代表する城郭として仰ぎ見たくなる遺構が数多い。
その最大の見どころが「武者返し」といわれる石垣だろう。下から見ると緩やかで登れそうだが、上に行くほど絶壁になっていることが名前の由来だ。
石垣には築城の名手といわれた加藤清正が近江国の職人を使って造った緩やかな勾配の石垣と、細川藩主の時代に建設された急勾配の2種類(「二様の石垣」)があり、これを同時に見ることができる。
そしてもうひとつ。本命の大天守、小天守に加えて他城にはない五階櫓が5基も見られるのも興味深い。とりわけ国の重要文化財に指定されている3層5階、地下1階からなる宇土櫓は、明治の西南戦争を乗り越えて残った貴重な多層櫓だ(トビラ写真)。
中に足を踏み入れると、当時使われたマツ、ツガ、クスなどの木材で組まれた梁や柱に「ちょうな」といわれる手斧で削った跡を間近に見ることができる。