だがそれ以上に人をひきつけるのは、肥薩線が物語る明治・大正・昭和の鉄道歴史ロマンだ。来年は肥薩線全線開通100周年。その夏には往年のSL「58654号」も八代-人吉間で復活する。肥薩線はまさに鉄道産業遺産の宝庫だ。
SL肥薩線物語の主役たち
トンネルと1000分の25(1000mで25m登る)の急勾配が続く人吉―吉松間。多くの犠牲を乗り越えて完成したこの山線の難所は、SL時代の機関士たちも苦しめた。
重い列車を引いて東京タワーを越える高低差を全力で駆け上がるため車輪の空転し、人吉駅から峠の矢岳駅まで休憩なしには登れなかった。スイッチバック式の大畑駅は当時の非力なSLには不可欠だった。
昭和30年~40年代この山線でSL機関士だった立山勝徳さん(72)は「SLの運転は二人の機関士の共同作業。コンビを初めて組むときは乗り組み祝いの儀式をした」と当時を振り返る。
だがそれ以上に人をひきつけるのは、肥薩線が物語る明治・大正・昭和の鉄道歴史ロマンだ。来年は肥薩線全線開通100周年。その夏には往年のSL「58654号」も八代-人吉間で復活する。肥薩線はまさに鉄道産業遺産の宝庫だ。
SL肥薩線物語の主役たち
トンネルと1000分の25(1000mで25m登る)の急勾配が続く人吉―吉松間。多くの犠牲を乗り越えて完成したこの山線の難所は、SL時代の機関士たちも苦しめた。
重い列車を引いて東京タワーを越える高低差を全力で駆け上がるため車輪の空転し、人吉駅から峠の矢岳駅まで休憩なしには登れなかった。スイッチバック式の大畑駅は当時の非力なSLには不可欠だった。
昭和30年~40年代この山線でSL機関士だった立山勝徳さん(72)は「SLの運転は二人の機関士の共同作業。コンビを初めて組むときは乗り組み祝いの儀式をした」と当時を振り返る。