chennai5

路地を抜けるとヒンズー教の寺院の前に出る。信者たちが「寺の中に入れ」と手招きをするので、靴を脱いで境内に入る。ヒンズー教徒でないので神殿には入れないが、周囲を歩き、覗き込むのは構わないという。境内ではたくさんの人々がそれぞれに祈りを捧げている。山車のようなものの上に立つ、位が高そうな僧侶(見た目にもインパクトがある)には人々の畏敬の眼差しが集まる一方、若い僧らは修行の一環だろうか、数人で床に車座になり経を唱え続けている。中でも最も若い風貌の僧が経文をスマホの画面から読んでいるのが印象的だ。ここにもカオス、喧騒、灼熱などといったステレオタイプのキーワードは当てはまらない。極めて秩序だった真摯な祈りの世界、という印象だ。

chennai6

旧市街の「Holi(ホーリ)」の祭りに出かけることにする。この年に一度のヒンズー教の祭りは、原色のカラーパウダーを互いの身体に投げ合うことで知られており、人々は性別や年齢、カーストや職業による社会階級などを越えて、誰に対しても「色」をつける、いわば「無礼講」が許される。「Holi」はインド全土で祝われるが、北部では特に伝統に則ったしきたりでの開催となる。南インドのチェンナイでは北部ほどの規模や伝統様式ではないというが、それでも市内の北部出身者が多く住むソウカーペット地区を中心に、華やかに祭りが行われる。早朝から盛り上がるというので足を運ぶと、さっそく街行く人の顔や服が色鮮やかにカラーリングされている。誰もが自由で開放感いっぱいで、とにかく楽しそうだ。通りにいる人たちの表情には伝統的な宗教行事という雰囲気はほぼないが、若い人にとってはエネルギーの発散の場でもあろうことを考えると、社会のイベントとして意味は大きそうだ。地元の若者たちが私の顔やカメラに向けてあまりに大胆にカラーパウダーを投げつけるので、思わず「もうイイ、やめてくれ」と言うと、皆ハタと驚き立ち止まり、「Holiのカラーパウダーを拒むなんて・・・」と、なんとも悲しげな顔をする。Holiが外国人との垣根さえもなくなる楽しき無礼講のひと時であることを思い出し、その後、慌ててあらゆる色のパウダーを全身で受け止めるのは言うまでもない(カメラのクリーングのことはとりあえず考えないことにする)。

自然素材だというカラーパウダーは、何度シャワーを浴びてもなかなか落ちない。しかしそれも旅の思い出か、と諦め、額や手が少しピンクがかったまま空港に向かう。数日間のチェンナイ滞在を終え、再度「スパイスジェット」で帰路に着くためである。

到着時にゆっくりと見ることができなかった空港ターミナルを改めて眺めると、小ぶりの古い旧ターミナルの両脇に巨大な国内線ターミナルと国際線ターミナルが繋がっている。繋がっている、といっても国内線と国際線のビルは500メートルほど離れているから、空港全体の規模感がわかるだろう。実に壮大なのである。

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ターミナルビルには旅客以外は入れない。到着旅客は一度出たら再入場はできず、出発旅客も一度ビルに入ったら再度外に出ることはできない。セキュリティースタッフは自動小銃を抱えてビル内外をパトロールするほか、各所にスナイパーのような体勢で銃を構えるスタッフもいる。そしてこの空港では、ターミナルの外やチェックインロビーからまったく航空機が見えないことに気づく。出発ゲートでさえもかろうじて自身の搭乗機がちらりと見えるだけだ。保安目的の意図的な設計であるに違いない。インドの主要空港は国策で建設されており、インド政府は「その設備は世界一」と豪語している。その「世界一」がセキュリティー体制のことであれば、その徹底ぶりに感心せざるを得ない。

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ターミナル内部も実に規模感があり、その広い空間から(出国手続きの行列を除いて)混雑はほとんどない。しかし、レストランやカフェを含むアメニティが極めて限定的で、日本や東南アジアの利便性の高いメガエアポートに慣れた身としては、思わず笑ってしまうほどやることがない(ちなみにアルコール類の販売も一切ない)。政府が造るハコモノとはこういうことか、などとも思ってしまう。

暇を持て余す中、スパイスジェットのフライトが定刻に出発なのが心の救いだ。しかしこれだけの大空港で搭乗橋のあるゲートも空いているというのに、やはりLCCのコスト管理なのだろうか、深夜の搭乗便はバスゲートからの出発である。機体に向かうランプバスから過剰な照明で光り輝くターミナルを振り返ると、うむむ、やはり巨大である(そしてしつこいが、搭乗ゲートはいくつも空いている)。この極端なアンバランス感こそが、現代のインドなのかもしれない。

若く明るい表情のCAたちに迎えられてバンコク行きのフライトのシートに座る。また一つの旅の終わりの始まりである。勝手な思い込みでカオスに満ちた「混沌と灼熱」を期待したインドだったが、蓋をあけてみるとチェンナイの人たちは穏やかで優しく前向きで、時に礼儀正しく伝統を尊ぶ人ばかり。そして食は豊かで、気温は高くも、概ねどこかのんびりとした空気が流れる心地よい土地であった。それはおそらく南インド、そして港町チェンナイの特徴なのかもしれない。

ふとシートポケットに目を落とすと、機内誌がある。そのタイトルは「Spice Route(スパイスルート)」。そうか、そうだったのか!香辛料(スパイス)は東西交易の歴史の中で、インドを広く世界に知らしめたもの一つ。南インドはかつてスパイスを全世界に運んだ拠点なのだ。そしてその世界の交易ルートは「Spice Route」と呼ばれた。「スパイスジェット」の社名は、「インド=香辛料」という単純な発想だけではなく、同社が現代のインドと世界の交易ルート、すなわちスパイスルートとなるべく付けられたのかもしれない。CAの深紅の制服の袖や背中には、「Red, Hot, Spicy」と同社のキャッチフレーズが描かれている。同社はインドと世界の航空業界においてピリリと際立つスパイスのような存在になることを目指し、そのビジネスを拡大しているのだろう。

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今回の旅では南インドの街と人々、そしてスパイスジェットから、動き続ける21世紀のインドの一端を見た思いだ。インドを訪れると、もう二度と行きたくないと思うかハマるか、どちらか、とはよく言われること。私はどうだろうか?正直、(今は「インド的なもの」で少々お腹がいっぱいで)とりあえずはどっぷりハマる気分ではないが、この先ダイナミックに変化するだろう、この土地に改めて興味を持ったことは確か。そして次回はぜひ南インド以外にも足を踏み入れてみたいものだ。そこにさらに濃密で無秩序なパワー、そして「混沌と灼熱」を期待するのは、旅人のわがままだろうか。

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路地を抜けるとヒンズー教の寺院の前に出る。信者たちが「寺の中に入れ」と手招きをするので、靴を脱いで境内に入る。ヒンズー教徒でないので神殿には入れないが、周囲を歩き、覗き込むのは構わないという。境内ではたくさんの人々がそれぞれに祈りを捧げている。山車のようなものの上に立つ、位が高そうな僧侶(見た目にもインパクトがある)には人々の畏敬の眼差しが集まる一方、若い僧らは修行の一環だろうか、数人で床に車座になり経を唱え続けている。中でも最も若い風貌の僧が経文をスマホの画面から読んでいるのが印象的だ。ここにもカオス、喧騒、灼熱などといったステレオタイプのキーワードは当てはまらない。極めて秩序だった真摯な祈りの世界、という印象だ。

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旧市街の「Holi(ホーリ)」の祭りに出かけることにする。この年に一度のヒンズー教の祭りは、原色のカラーパウダーを互いの身体に投げ合うことで知られており、人々は性別や年齢、カーストや職業による社会階級などを越えて、誰に対しても「色」をつける、いわば「無礼講」が許される。「Holi」はインド全土で祝われるが、北部では特に伝統に則ったしきたりでの開催となる。南インドのチェンナイでは北部ほどの規模や伝統様式ではないというが、それでも市内の北部出身者が多く住むソウカーペット地区を中心に、華やかに祭りが行われる。早朝から盛り上がるというので足を運ぶと、さっそく街行く人の顔や服が色鮮やかにカラーリングされている。誰もが自由で開放感いっぱいで、とにかく楽しそうだ。通りにいる人たちの表情には伝統的な宗教行事という雰囲気はほぼないが、若い人にとってはエネルギーの発散の場でもあろうことを考えると、社会のイベントとして意味は大きそうだ。地元の若者たちが私の顔やカメラに向けてあまりに大胆にカラーパウダーを投げつけるので、思わず「もうイイ、やめてくれ」と言うと、皆ハタと驚き立ち止まり、「Holiのカラーパウダーを拒むなんて・・・」と、なんとも悲しげな顔をする。Holiが外国人との垣根さえもなくなる楽しき無礼講のひと時であることを思い出し、その後、慌ててあらゆる色のパウダーを全身で受け止めるのは言うまでもない(カメラのクリーングのことはとりあえず考えないことにする)。

自然素材だというカラーパウダーは、何度シャワーを浴びてもなかなか落ちない。しかしそれも旅の思い出か、と諦め、額や手が少しピンクがかったまま空港に向かう。数日間のチェンナイ滞在を終え、再度「スパイスジェット」で帰路に着くためである。

到着時にゆっくりと見ることができなかった空港ターミナルを改めて眺めると、小ぶりの古い旧ターミナルの両脇に巨大な国内線ターミナルと国際線ターミナルが繋がっている。繋がっている、といっても国内線と国際線のビルは500メートルほど離れているから、空港全体の規模感がわかるだろう。実に壮大なのである。

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ターミナルビルには旅客以外は入れない。到着旅客は一度出たら再入場はできず、出発旅客も一度ビルに入ったら再度外に出ることはできない。セキュリティースタッフは自動小銃を抱えてビル内外をパトロールするほか、各所にスナイパーのような体勢で銃を構えるスタッフもいる。そしてこの空港では、ターミナルの外やチェックインロビーからまったく航空機が見えないことに気づく。出発ゲートでさえもかろうじて自身の搭乗機がちらりと見えるだけだ。保安目的の意図的な設計であるに違いない。インドの主要空港は国策で建設されており、インド政府は「その設備は世界一」と豪語している。その「世界一」がセキュリティー体制のことであれば、その徹底ぶりに感心せざるを得ない。

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ターミナル内部も実に規模感があり、その広い空間から(出国手続きの行列を除いて)混雑はほとんどない。しかし、レストランやカフェを含むアメニティが極めて限定的で、日本や東南アジアの利便性の高いメガエアポートに慣れた身としては、思わず笑ってしまうほどやることがない(ちなみにアルコール類の販売も一切ない)。政府が造るハコモノとはこういうことか、などとも思ってしまう。

暇を持て余す中、スパイスジェットのフライトが定刻に出発なのが心の救いだ。しかしこれだけの大空港で搭乗橋のあるゲートも空いているというのに、やはりLCCのコスト管理なのだろうか、深夜の搭乗便はバスゲートからの出発である。機体に向かうランプバスから過剰な照明で光り輝くターミナルを振り返ると、うむむ、やはり巨大である(そしてしつこいが、搭乗ゲートはいくつも空いている)。この極端なアンバランス感こそが、現代のインドなのかもしれない。

若く明るい表情のCAたちに迎えられてバンコク行きのフライトのシートに座る。また一つの旅の終わりの始まりである。勝手な思い込みでカオスに満ちた「混沌と灼熱」を期待したインドだったが、蓋をあけてみるとチェンナイの人たちは穏やかで優しく前向きで、時に礼儀正しく伝統を尊ぶ人ばかり。そして食は豊かで、気温は高くも、概ねどこかのんびりとした空気が流れる心地よい土地であった。それはおそらく南インド、そして港町チェンナイの特徴なのかもしれない。

ふとシートポケットに目を落とすと、機内誌がある。そのタイトルは「Spice Route(スパイスルート)」。そうか、そうだったのか!香辛料(スパイス)は東西交易の歴史の中で、インドを広く世界に知らしめたもの一つ。南インドはかつてスパイスを全世界に運んだ拠点なのだ。そしてその世界の交易ルートは「Spice Route」と呼ばれた。「スパイスジェット」の社名は、「インド=香辛料」という単純な発想だけではなく、同社が現代のインドと世界の交易ルート、すなわちスパイスルートとなるべく付けられたのかもしれない。CAの深紅の制服の袖や背中には、「Red, Hot, Spicy」と同社のキャッチフレーズが描かれている。同社はインドと世界の航空業界においてピリリと際立つスパイスのような存在になることを目指し、そのビジネスを拡大しているのだろう。

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今回の旅では南インドの街と人々、そしてスパイスジェットから、動き続ける21世紀のインドの一端を見た思いだ。インドを訪れると、もう二度と行きたくないと思うかハマるか、どちらか、とはよく言われること。私はどうだろうか?正直、(今は「インド的なもの」で少々お腹がいっぱいで)とりあえずはどっぷりハマる気分ではないが、この先ダイナミックに変化するだろう、この土地に改めて興味を持ったことは確か。そして次回はぜひ南インド以外にも足を踏み入れてみたいものだ。そこにさらに濃密で無秩序なパワー、そして「混沌と灼熱」を期待するのは、旅人のわがままだろうか。