宿はダッカ市内の中心部で比較的高級とされるエリアに取った。大通りには10階程度のビルが立ち並ぶが、一本裏手に入ると低層の建物が続き、道路が未舗装で中央が陥没していたりする。ここを拠点に数日をかけてダッカ市内と郊外を巡ることにする。

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ダッカは大都市で見どころは少なからずある。見通しの効かない路地に商店や飲食店や市場など
が密集する「オールドダッカ」、ブリコンガ川に面した物流の要所である船着き場「ショドル・ガット」、国会議事堂「ジャティヨ・ションショッド」、独立までの歴史の舞台「アーシャン・モンジール(ピンク・パレス)」、18世紀のムガル朝時代に建設されたモスク「タラ・モスジット(スター・モスジッド)」など。さらには郊外にある12世紀に興隆した運河の古都「ショナルガオ」にも足を伸ばす。

いずれも街歩きとしては魅力的な場所ばかりで、南アジアの歴史的にも価値の高いところも多い。しかし、どこも観光リソースとしての整備はほとんどされていないという印象だ。経済白書によると国自体がこれまで観光産業にほとんど注力してこなかったという。経済発展が優先で、旅行産業まで手が回らないということだろうか。確かに、一般旅行者の目的地としては「キメの見どころ」がなく、衛生面を含めて受け入れ体制はとても貧弱だ。

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一方、どこに行っても驚くほど人が多い。北海道の1.7倍の国土に1億4千万人が暮らすというこの国の、さらに人口が一極集中する首都中心部であるから無理はない。圧倒的な数の人々の生活を眺めていると、濃厚な息遣いや生活感そのものが観光リソースのようにも思えてくるから不思議だ。それは世界の多くの完璧なまでに整備された観光地や都市に慣れてしまった反動ではなく、この喧騒と混乱に満ちた雑踏から「人の力」をどこよりもリアルに感じるからなのかもしれない。

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市内の移動は「CNG(シーエヌジー)」と呼ばれる亀のような三輪自動車か、リキシャ(人力車)を使う。バスはローカルでなければ乗りこなせない雰囲気で、タクシーは予めチャーターする以外にはほぼ捕まらない。そして街は常に大渋滞である。オールドダッカでもメーンの道路は片側2車線ほどの幅があるが、常時だいたいリキシャ4割、CNG3割、乗用車0.5割、人2.5割の比率で埋め尽くされる。車両はそれぞれ車幅・長さ、移動スピード・距離、陥没・水たまりでの走行性能がまったく違うにもかかわらず、各ドライバーには「車線」「車種」の概念はなく、あらゆる車両が一斉にそして懸命に前に進もうとし、お互いがお互いの進路を阻む形で終わりのない渋滞を招いている。ここではまさにカオスが日常なのである。

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ダッカで知り合いになった比較的裕福な青に、国が貧困から脱却し経済発展を遂げるためにまず解決されるべき問題は何かと尋ねると、「交通渋滞と停電、そして賄賂と縁故優遇がはびこる官僚システム」と真顔で答えた。

バングラデシュの熱く複雑な現実を垣間見たところで、後ろ髪を引かれながら帰路につくことに。ダッカからは前述のようにビーマンバングラデシュ航空でバンコクに戻る予定だ。日本路線から撤退しているビーマンの機体は、成田で最後にその姿を見てから約10年ぶりの再会である。空港の出発ロビーの約半分弱が同社とそのハンドリング会社専用になっているあたりは、さすがナショナルフラッグキャリアの貫禄である。搭乗手続きカウンター横には、ボーイング777型機導入のサイネージが置かれ明るい宣伝文句が踊っているが、搭乗手続きカウンターの中の男性職員の態度は所謂役人風だ。挨拶もないどころか、手続き完了後も無言でパスポートと搭乗券を投げ返すのみ。昨今のアジアのレガシーキャリアのサービスレベルからすると、それは比較の対象にもならない。

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しかし、スタッフの「上から目線」も会社ぐるみとなると、やられる方は意外と不快ではない。期待がまったくなくなるからである。自分の目的は飛行機に乗ってA地点からB地点に向かうことだ。こんな奴らの一挙一同にムカついている場合ではない、などと思ってしまうから不思議なものである。

ボーイング737-800型機の機内には民族衣装風のユニフォームを着たアテンダントが乗務する。根拠不明な高圧的な雰囲気だが、自信に満ちた上から目線の笑顔が、まあ乗客に一定の安心感を与えるのも事実だ。機内食を含め決して充実していないサービスだが、これがアテンダントの仕事であり、ビーマンの伝統だ、とでも言わんばかりの接客アプローチは、遥か昔の世界の僻地フライトで見た光景のような懐かしさを感じる。そんなタイムスリップ感の極みが、食事後に乗客の頭上に散布される消毒剤である。成分不明の白い粉を浴びながら、「確か90年代の最初くらいまで、成田発着のアジア路線にもあったなあ」と感じ入る。保健衛生は重要だが、その散布方法はまるで一般客を荷物あるいは動物扱いである。しかし前向きな私はそれを、乗客に決して媚びない古参エアラインの威厳のある態度、と好意的に理解することにする。

そしてフライトはバンコクに定刻に到着。レア体験もこれで終わりかと安堵しながら降機すると、コックピットから出てきた運航乗務員が「定時運航はめったにない。あなたはラッキー」と真顔で言う。改めて飛行機に乗ることはあくまで「移動」であり、その目的が達成できればほかに何も望まない、と思ってしまう。移ろいゆく世界の航空市場の中で、ビーマン・バングラデシュ航空は変わることなく、たとえ新興の追い上げがあってもマイペースである。空の旅の基本に立ち返り、それを体験するにはお勧めの会社だ。

ひとたびバングラデシュを離れてみると、強烈に印象に残っているのはあのうねるような人の波の喧騒と熱気と、彼らの笑顔だ。バングラデシュで出会った人の多くは、旅行者を警戒し疑うこなど一切ない目をしていた。自然な笑顔の中に輝くその瞳と、見返りなしに「写真を撮ってくれ」と近づいてくる距離感に、人と人とのリアルのコミュニケーションを感じた。

バングラデシュの航空サービスをはじめとする旅行産業の発展、そして一般旅行者の人気のデスティネーションになるための観光リソース開発の道のりはかなり長そうだ。しかし、「人に会う、人を知る」という旅の原点を見つめ直すなら、先入観と偏見を捨ててこの国を訪れてみると良いだろう。そこには、自身のこれからの「旅」がどうあるべきかを考えるきっかけがあるかもしれない。

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(筆者注: 本原稿の内容は2016年7月に発生したダッカ人質テロ事件以前に行った取材に基づいています。)

宿はダッカ市内の中心部で比較的高級とされるエリアに取った。大通りには10階程度のビルが立ち並ぶが、一本裏手に入ると低層の建物が続き、道路が未舗装で中央が陥没していたりする。ここを拠点に数日をかけてダッカ市内と郊外を巡ることにする。

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ダッカは大都市で見どころは少なからずある。見通しの効かない路地に商店や飲食店や市場など
が密集する「オールドダッカ」、ブリコンガ川に面した物流の要所である船着き場「ショドル・ガット」、国会議事堂「ジャティヨ・ションショッド」、独立までの歴史の舞台「アーシャン・モンジール(ピンク・パレス)」、18世紀のムガル朝時代に建設されたモスク「タラ・モスジット(スター・モスジッド)」など。さらには郊外にある12世紀に興隆した運河の古都「ショナルガオ」にも足を伸ばす。

いずれも街歩きとしては魅力的な場所ばかりで、南アジアの歴史的にも価値の高いところも多い。しかし、どこも観光リソースとしての整備はほとんどされていないという印象だ。経済白書によると国自体がこれまで観光産業にほとんど注力してこなかったという。経済発展が優先で、旅行産業まで手が回らないということだろうか。確かに、一般旅行者の目的地としては「キメの見どころ」がなく、衛生面を含めて受け入れ体制はとても貧弱だ。

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一方、どこに行っても驚くほど人が多い。北海道の1.7倍の国土に1億4千万人が暮らすというこの国の、さらに人口が一極集中する首都中心部であるから無理はない。圧倒的な数の人々の生活を眺めていると、濃厚な息遣いや生活感そのものが観光リソースのようにも思えてくるから不思議だ。それは世界の多くの完璧なまでに整備された観光地や都市に慣れてしまった反動ではなく、この喧騒と混乱に満ちた雑踏から「人の力」をどこよりもリアルに感じるからなのかもしれない。

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市内の移動は「CNG(シーエヌジー)」と呼ばれる亀のような三輪自動車か、リキシャ(人力車)を使う。バスはローカルでなければ乗りこなせない雰囲気で、タクシーは予めチャーターする以外にはほぼ捕まらない。そして街は常に大渋滞である。オールドダッカでもメーンの道路は片側2車線ほどの幅があるが、常時だいたいリキシャ4割、CNG3割、乗用車0.5割、人2.5割の比率で埋め尽くされる。車両はそれぞれ車幅・長さ、移動スピード・距離、陥没・水たまりでの走行性能がまったく違うにもかかわらず、各ドライバーには「車線」「車種」の概念はなく、あらゆる車両が一斉にそして懸命に前に進もうとし、お互いがお互いの進路を阻む形で終わりのない渋滞を招いている。ここではまさにカオスが日常なのである。

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ダッカで知り合いになった比較的裕福な青に、国が貧困から脱却し経済発展を遂げるためにまず解決されるべき問題は何かと尋ねると、「交通渋滞と停電、そして賄賂と縁故優遇がはびこる官僚システム」と真顔で答えた。

バングラデシュの熱く複雑な現実を垣間見たところで、後ろ髪を引かれながら帰路につくことに。ダッカからは前述のようにビーマンバングラデシュ航空でバンコクに戻る予定だ。日本路線から撤退しているビーマンの機体は、成田で最後にその姿を見てから約10年ぶりの再会である。空港の出発ロビーの約半分弱が同社とそのハンドリング会社専用になっているあたりは、さすがナショナルフラッグキャリアの貫禄である。搭乗手続きカウンター横には、ボーイング777型機導入のサイネージが置かれ明るい宣伝文句が踊っているが、搭乗手続きカウンターの中の男性職員の態度は所謂役人風だ。挨拶もないどころか、手続き完了後も無言でパスポートと搭乗券を投げ返すのみ。昨今のアジアのレガシーキャリアのサービスレベルからすると、それは比較の対象にもならない。

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しかし、スタッフの「上から目線」も会社ぐるみとなると、やられる方は意外と不快ではない。期待がまったくなくなるからである。自分の目的は飛行機に乗ってA地点からB地点に向かうことだ。こんな奴らの一挙一同にムカついている場合ではない、などと思ってしまうから不思議なものである。

ボーイング737-800型機の機内には民族衣装風のユニフォームを着たアテンダントが乗務する。根拠不明な高圧的な雰囲気だが、自信に満ちた上から目線の笑顔が、まあ乗客に一定の安心感を与えるのも事実だ。機内食を含め決して充実していないサービスだが、これがアテンダントの仕事であり、ビーマンの伝統だ、とでも言わんばかりの接客アプローチは、遥か昔の世界の僻地フライトで見た光景のような懐かしさを感じる。そんなタイムスリップ感の極みが、食事後に乗客の頭上に散布される消毒剤である。成分不明の白い粉を浴びながら、「確か90年代の最初くらいまで、成田発着のアジア路線にもあったなあ」と感じ入る。保健衛生は重要だが、その散布方法はまるで一般客を荷物あるいは動物扱いである。しかし前向きな私はそれを、乗客に決して媚びない古参エアラインの威厳のある態度、と好意的に理解することにする。

そしてフライトはバンコクに定刻に到着。レア体験もこれで終わりかと安堵しながら降機すると、コックピットから出てきた運航乗務員が「定時運航はめったにない。あなたはラッキー」と真顔で言う。改めて飛行機に乗ることはあくまで「移動」であり、その目的が達成できればほかに何も望まない、と思ってしまう。移ろいゆく世界の航空市場の中で、ビーマン・バングラデシュ航空は変わることなく、たとえ新興の追い上げがあってもマイペースである。空の旅の基本に立ち返り、それを体験するにはお勧めの会社だ。

ひとたびバングラデシュを離れてみると、強烈に印象に残っているのはあのうねるような人の波の喧騒と熱気と、彼らの笑顔だ。バングラデシュで出会った人の多くは、旅行者を警戒し疑うこなど一切ない目をしていた。自然な笑顔の中に輝くその瞳と、見返りなしに「写真を撮ってくれ」と近づいてくる距離感に、人と人とのリアルのコミュニケーションを感じた。

バングラデシュの航空サービスをはじめとする旅行産業の発展、そして一般旅行者の人気のデスティネーションになるための観光リソース開発の道のりはかなり長そうだ。しかし、「人に会う、人を知る」という旅の原点を見つめ直すなら、先入観と偏見を捨ててこの国を訪れてみると良いだろう。そこには、自身のこれからの「旅」がどうあるべきかを考えるきっかけがあるかもしれない。

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(筆者注: 本原稿の内容は2016年7月に発生したダッカ人質テロ事件以前に行った取材に基づいています。)