トビリシ市内を流れるムトゥクヴァリ川(クラ川)は、古来からヨーロッパとアジアを隔てる境界とされてきた。さまざまな理由で、ヨーロッパから東へ、そしてアジアから西へ向かった多様な人たちが、このムトゥクヴァリ川を一つの重要な通過点とした。この川を越えることで、ある者は安堵を、ある者はさらなる不安を、またある者は旅人としての武者震いを全身で感じたに違いない。今も川のほとりに建つメヒテ教会は5世紀に建立されたもの。かつては旅人の「駆け込み寺」だった時代も長かったという。ジョージアを通過する旅人を、つまり人類の移動の歴史を、じっと見守り続けてきた存在だ。きっと今も、そしてこれからもそうあり続けるのだろう。
ジョージア国内には鉄道網や航空路が発達しておらず、メインの移動手段は「マルシュルートカ」という乗り合いの小型のバン、あるいは乗り合いタクシーとなる。これで前出のカヘティア地方や、北部のカズベキ地方、黒海に面したバツミ、さらには隣国のアゼルバイジャンのバクーやアルメニアのエレバンに向かうことができる。
マルシュルートカの乗りごごちは快適とは言い難く、ドライバーや同乗者の愛想はさほど良くないかもしれない。しかし誰もが時折、どこか人の良さがにじみ出る態度や表情を見せる。より正確には、人の良さというよりも「旅人(=異邦人)を拒まない姿勢」と言えるかもしれない。それはシルクロードの西端のクロスロードというこの国の位置に関係している。何千年にわたって数え切れない旅人が到達し、滞在し、通過したこの地では、そこに住む者が見知らぬ旅人と接することは日常であった。あらゆる異邦人を迎え、もてなし、商いをし、ある時は徒党を組み、またある時は追い払うことは、ある意味ここで生きることのすべてであり、ジョージアの住人たちはその術を自らの数千年にわたる経験からDNAレベルで会得しているのだという。
その証のようにトビリシの丘に建つマリアの像は、片手にワインの盃を、もう一つの手に剣を持っている。それが意味するところは、「我々はここを訪れる者をすべて迎え入れる。友であれば盃を酌み交わし、敵であれば戦う」。見知らぬ旅人との付き合いかたの経験値が、計測不能なほどの次元にまで高められているのである。
ジョージアでマルシュルートカが進む道、あるいは自らの足で歩く大地は多くは乾いた土地で、時に険しい。しかしそこは自分のはるか祖先がまだ移動民だったころ、命を賭して通過した場所かもしれない。未知のはずであったジョージアの風景にいつの間にか既視感を覚えるのは、旅人としての創造力が働いているだけでなく、自分のDNAに刻まれた遠い記憶が呼び起こされているからかもしれない。
トビリシ市内を流れるムトゥクヴァリ川(クラ川)は、古来からヨーロッパとアジアを隔てる境界とされてきた。さまざまな理由で、ヨーロッパから東へ、そしてアジアから西へ向かった多様な人たちが、このムトゥクヴァリ川を一つの重要な通過点とした。この川を越えることで、ある者は安堵を、ある者はさらなる不安を、またある者は旅人としての武者震いを全身で感じたに違いない。今も川のほとりに建つメヒテ教会は5世紀に建立されたもの。かつては旅人の「駆け込み寺」だった時代も長かったという。ジョージアを通過する旅人を、つまり人類の移動の歴史を、じっと見守り続けてきた存在だ。きっと今も、そしてこれからもそうあり続けるのだろう。
ジョージア国内には鉄道網や航空路が発達しておらず、メインの移動手段は「マルシュルートカ」という乗り合いの小型のバン、あるいは乗り合いタクシーとなる。これで前出のカヘティア地方や、北部のカズベキ地方、黒海に面したバツミ、さらには隣国のアゼルバイジャンのバクーやアルメニアのエレバンに向かうことができる。
マルシュルートカの乗りごごちは快適とは言い難く、ドライバーや同乗者の愛想はさほど良くないかもしれない。しかし誰もが時折、どこか人の良さがにじみ出る態度や表情を見せる。より正確には、人の良さというよりも「旅人(=異邦人)を拒まない姿勢」と言えるかもしれない。それはシルクロードの西端のクロスロードというこの国の位置に関係している。何千年にわたって数え切れない旅人が到達し、滞在し、通過したこの地では、そこに住む者が見知らぬ旅人と接することは日常であった。あらゆる異邦人を迎え、もてなし、商いをし、ある時は徒党を組み、またある時は追い払うことは、ある意味ここで生きることのすべてであり、ジョージアの住人たちはその術を自らの数千年にわたる経験からDNAレベルで会得しているのだという。
その証のようにトビリシの丘に建つマリアの像は、片手にワインの盃を、もう一つの手に剣を持っている。それが意味するところは、「我々はここを訪れる者をすべて迎え入れる。友であれば盃を酌み交わし、敵であれば戦う」。見知らぬ旅人との付き合いかたの経験値が、計測不能なほどの次元にまで高められているのである。
ジョージアでマルシュルートカが進む道、あるいは自らの足で歩く大地は多くは乾いた土地で、時に険しい。しかしそこは自分のはるか祖先がまだ移動民だったころ、命を賭して通過した場所かもしれない。未知のはずであったジョージアの風景にいつの間にか既視感を覚えるのは、旅人としての創造力が働いているだけでなく、自分のDNAに刻まれた遠い記憶が呼び起こされているからかもしれない。