「さて、到着したものの、どうしたものか」と、到着ロビーで立ち止まる。いつものように事前に行程の準備などしていないので、空港から街までの移動からして行き当たりばったりである。目的地はペナン島の中心で観光地でもあるジョージタウン。住宅・商店・病院・官公庁などの都市基盤が整備されている、島北東端にある人口約40万人のエリアで、首都KLに次ぐマレーシア第2の都市でもあるペナンの中心地だ。このジョージタウンの旧市街がユネスコの世界遺産にも登録される歴史地区となっているというので、取り敢えずそこに向うことにする。

penang5

空港からの交通手段は所要時間約1時間の路線バス「rapidPeneng」か、高速道路を20分ほど走るプリペイドの空港タクシー。料金は前者が2.7RM(マレーシアリンギット、約70 円)、後者が45.59RM(約1,300円)。その大きな差が東南アジアらしい。少し悩んでタクシーに乗車する。バスの車内や車窓からのんびりとその土地を眺めるのも良いものだが、はやる気持ちに素直に従い、とりあえず早く目的地まで足を進めるのも旅のスタイルとして好きだ。

penang6

到着したジョージタウンの旧市街には2階建ての低い建物が通りを埋め、小さな商店や会社事務所などが軒を連ねている。街全体にここがインド洋の海洋交易の要衝だったころの雰囲気が残り、マレーの港町の風情をたっぷりと感じられる。建物は一見、中華風のものが多いように思えるが、どれもマレー独自のデザインで、西洋的なエッセンスも感じられる。通りを進むと、かつての邸宅が博物館になっていたり、昔からの商店がそのまま食堂や現代風のカフェになっていたりと、不思議なタイムスリップ感がある。古い建物には観光とは直接関係のない貿易などの仕事を続けているところが数多くある。歴史とリアルの生活、観光ビジネスと非観光産業がバランス良く自然に混在しているところが魅力的だ。食堂や屋台では地元産のシーフードを中心にさまざまなメニューが展開され、中華・マレー・インドなどの味を自在に楽しめる。これらも観光客の食欲を満たすだけでなく、地元の人々の毎日の食を支えるものであることが嬉しい。ここでは旅行者が、他の場所からの来訪者としてと同時に、ローカルと同じようにも日常を楽しめるのだ。

penang7

ジョージタウンでは歴史的にヨーロッパから影響が絶大で、それは複雑だ。わずか200年前はほぼジャングルだったというペナン島は、その位置がマラッカ海峡の入口にあたるところから、19世紀のイギリスのマレー支配の一環で植民地化された歴史がある。街の名も当時の国王ジョージ4世から付けられた。植民地経営を担ったのはイギリス東インド会社。17世紀から19世紀半ばにかけて、オランダなどと競い合いアジア各地の植民地経営や海上交易を展開したあの勅許会社である。その会社が19世紀にアジア進出の前進基地としたのがマレー半島で、1826年にこのペナンとマラッカとシンガポールを拠点に「海峡植民地」を形成したのだ。しかし当然のことながら、ペナンの歴史は当然、それ以前もそれ以後にもある。その歴史の流れを少々乱暴に言うと、11世紀頃からマレーの王国の領地 → 16世紀ごろにポルトガル人が到達 → 18世紀までにオランダやフランスなどが到達するも、イギリスが「所有権」を獲得 → 20世紀に日本(軍)が占領 → 1957年にマラヤ連邦の一部として独立 → 現在に至る商業の発展やリゾート開発、となる。

penang8

penang9

「さて、到着したものの、どうしたものか」と、到着ロビーで立ち止まる。いつものように事前に行程の準備などしていないので、空港から街までの移動からして行き当たりばったりである。目的地はペナン島の中心で観光地でもあるジョージタウン。住宅・商店・病院・官公庁などの都市基盤が整備されている、島北東端にある人口約40万人のエリアで、首都KLに次ぐマレーシア第2の都市でもあるペナンの中心地だ。このジョージタウンの旧市街がユネスコの世界遺産にも登録される歴史地区となっているというので、取り敢えずそこに向うことにする。

penang5

空港からの交通手段は所要時間約1時間の路線バス「rapidPeneng」か、高速道路を20分ほど走るプリペイドの空港タクシー。料金は前者が2.7RM(マレーシアリンギット、約70 円)、後者が45.59RM(約1,300円)。その大きな差が東南アジアらしい。少し悩んでタクシーに乗車する。バスの車内や車窓からのんびりとその土地を眺めるのも良いものだが、はやる気持ちに素直に従い、とりあえず早く目的地まで足を進めるのも旅のスタイルとして好きだ。

penang6

到着したジョージタウンの旧市街には2階建ての低い建物が通りを埋め、小さな商店や会社事務所などが軒を連ねている。街全体にここがインド洋の海洋交易の要衝だったころの雰囲気が残り、マレーの港町の風情をたっぷりと感じられる。建物は一見、中華風のものが多いように思えるが、どれもマレー独自のデザインで、西洋的なエッセンスも感じられる。通りを進むと、かつての邸宅が博物館になっていたり、昔からの商店がそのまま食堂や現代風のカフェになっていたりと、不思議なタイムスリップ感がある。古い建物には観光とは直接関係のない貿易などの仕事を続けているところが数多くある。歴史とリアルの生活、観光ビジネスと非観光産業がバランス良く自然に混在しているところが魅力的だ。食堂や屋台では地元産のシーフードを中心にさまざまなメニューが展開され、中華・マレー・インドなどの味を自在に楽しめる。これらも観光客の食欲を満たすだけでなく、地元の人々の毎日の食を支えるものであることが嬉しい。ここでは旅行者が、他の場所からの来訪者としてと同時に、ローカルと同じようにも日常を楽しめるのだ。

penang7

ジョージタウンでは歴史的にヨーロッパから影響が絶大で、それは複雑だ。わずか200年前はほぼジャングルだったというペナン島は、その位置がマラッカ海峡の入口にあたるところから、19世紀のイギリスのマレー支配の一環で植民地化された歴史がある。街の名も当時の国王ジョージ4世から付けられた。植民地経営を担ったのはイギリス東インド会社。17世紀から19世紀半ばにかけて、オランダなどと競い合いアジア各地の植民地経営や海上交易を展開したあの勅許会社である。その会社が19世紀にアジア進出の前進基地としたのがマレー半島で、1826年にこのペナンとマラッカとシンガポールを拠点に「海峡植民地」を形成したのだ。しかし当然のことながら、ペナンの歴史は当然、それ以前もそれ以後にもある。その歴史の流れを少々乱暴に言うと、11世紀頃からマレーの王国の領地 → 16世紀ごろにポルトガル人が到達 → 18世紀までにオランダやフランスなどが到達するも、イギリスが「所有権」を獲得 → 20世紀に日本(軍)が占領 → 1957年にマラヤ連邦の一部として独立 → 現在に至る商業の発展やリゾート開発、となる。

penang8

penang9