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最初にミャンマーを訪れた2012年は民主化からまだわずか半年のころ。各方面には依然、多くの規制や混乱が見られる一方で、ヤンゴン国際空港には半年以内に国外の6社のエアラインが一気に新規就航することが決まるなどしていて、東南アジアの旅行市場の「最後のフロンティア」の開放に沸き返っているような印象があった。あれから約2年。実際にミャンマーの航空事情や観光産業が現在までにどのように変化したかを確かめようと、ミャンマー主要都市を再訪した。

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最初にミャンマーを訪れた2012年は民主化からまだわずか半年のころ。各方面には依然、多くの規制や混乱が見られる一方で、ヤンゴン国際空港には半年以内に国外の6社のエアラインが一気に新規就航することが決まるなどしていて、東南アジアの旅行市場の「最後のフロンティア」の開放に沸き返っているような印象があった。あれから約2年。実際にミャンマーの航空事情や観光産業が現在までにどのように変化したかを確かめようと、ミャンマー主要都市を再訪した。

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ヤンゴン国際空港の滑走路に着陸する航空機の窓から駐機場や誘導路を遠望して驚く。アジアの大手航空会社の中型機や、初めて見るロゴやマーキングのミャンマー国内航空の最新鋭機が数多く目に入って来たからだ。わずか2年前にはこのエプロンに、ミャンマー国際航空(MAI)のあか抜けないデザインの航空機や、運用しているのかどうかも定かでない風情の国内航空の小型機数機が、まるで時間を持て余すように佇んでいたことを思い出すと、目前の光景はまさに別世界である。

いきなりの大変化に少々慌てながら到着のイミグレーションに進むと、そこにはかつて感じたある種の緊張感がほとんどないことに気づく。係員も来訪者に積極的に笑顔で接しているようさえ見える。もちろん一連の手続きはスムーズかつ気持良く進む。かつて米ドルしか受け付けず、交換レートが非公表で不明確なために「立ち寄ってはいけない」とされていた到着ロビーの唯一の両替所も、今や5カ所以上ある両替所の1つにすぎない。どのカウンターにも為替レートを表示するモニターが掲げられ、米ドル以外にもユーロやシンガポール・ドルを、そして日本円を取り扱うところさえある。考えてみれば今やこの空港ヘは、成田空港や茨城空港からも直行便が就航しているのだ(注:原稿執筆時)。日本を含む世界各国からやって来る旅行者は、かつてのような限定的な施設やサービスではもう納得しないのだろう。需要がサービスなどの供給を促し、供給が需要を呼ぶという発展の好循環が起きているのかもしれない。はっきり言って今のヤンゴン国際空港の国際線ターミナルは、大混雑する東南アジアのメガ空港よりもはるかに快適じゃないか、と思わせるほど、その寛容で前向きな活気がとても印象的だ。

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エネルギーに満ちたヤンゴン市街を歩く。以前より伝統の巻きスカート「ロンジー」を着用している男性が減ったように思える。パンツやスラックスをはくことがトレンドなのだろうか。また、「サンダル履きでない」ヤンゴン市民が多くなったことも目に留まる。2年前は、場所によっては靴を履いているのが旅行者である自分だけで、子どもたちが近づいてきて私の埃まみれのトレッキングシューズをジロジロ眺めたりしていたことを思い出す。街中にはポツポツとではあるが日本食レストランが増えていることも、この都市の大きな変化を表している。外国資本の進出は当面、その勢いを止めそうにないだろう。

一方で、市中の道路の整備や渋滞対策はまだまだ進んでおらず、国が今後の主要産業と位置づける観光リソースの開発もほとんどがまだ手付かずに近い。寺院や遺跡などの主要な観光地の本格的な整備はこれからで、現在の訪問者はミャンマー人の国内旅行者がメインだ。日本基準の安心安全な「観光ツアー」がヤンゴンで実現するのはまだ先になりそうだが、狭く凸凹の道路には待ちきれない中国・韓国・西欧からの団体観光客を乗せた超大型バスが高速で走り抜けたりしている。それはまさに、時代の変化がリアルタイムで展開する光景だ。

国内線のフライトでヤンゴンを離れてみることにする。2年前はまだ、運航の定時性の低さや航空券の購入の難易度などで、利用の敷居は高かった。そもそも外国人の立ち入りが禁止されていた地域も多くあり、ヤンゴン以外の地域への国内移動はそれ相応の心の準備が必要だったのだ。しかし今回はホテルのツアーデスクを通じて、AIR KBZ(エア・カンボーザ)のフライトを簡単に手配できた。同社はミャンマーの主要銀行の1つKBZ(カンボーザ)銀行が運営する国内で最も新しい航空会社の1つ。ATR-72を6機保有と運航規模は小さいながらも、従来からある国内線航空会社のエア・マンダレー・バガン航空・ヤンゴン航空などとは一線を画すのは、低料金でありながらも定時運航と高いカスタマーサービスを提供していることにあるという。門戸が開かれたミャンマーの空の最前線を飛ぶ翼、と言ったところか。

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搭乗するのはヤンゴン〜ニャンウー(バガン)の早朝のフライト。このルートは欧米人を中心にした個人旅行者に人気のあるもので、ヤンゴン出発は未明だというのにほぼ満席だ。1時間ちょっとのフライト運賃が約12,000円というのは決して安くはない。これで「低料金が売り」というのは、これまでの他社の国内線がとてつもなく高かったということである。ほとんど期待していなかった機内サービスだが、なんと、しっかりと朝食がサーブされ、クルーも終始笑顔である。機窓から差し込む朝日もすがすがしく感じ、薄暗く緊張感に溢れていたこの国のかつての国内便とは雲泥の差である。

搭乗者の8割は経済的に余裕のある風貌の欧米人だ。彼らの旅のバイブルとされている「ロンリープラネット」のミャンマー版にはこれまで「最終的に軍事政権がお金を吸い上げる政府系の旅行代理店や店舗・サービスは使うべきではない」と書かれていた。現在、多くの欧米人が観光目的でミャンマーに文字どおり押し寄せているのは、体制の民主化によって、そのような縛りから一気に開放されたからかもしれない。

快適極まりないフライトは、ミャンマーの大地を北上し、朝焼けのニャンウー空港に到着する。ターミナルは一定の規模はあるが、旅客関連の施設はかなり限定的だ。施設の大半は国内の物資輸送や軍関係のロジスティックの拠点なのだという。到着した機体から降ろされる預け手荷物は1個1個、空港スタッフが担いで到着ロビーまで運び、持ち主の旅客に笑顔で手渡してくれる。搬送トラックやターンテーブルがないと言えばそれまでだが、その作業のパーソナル感がたまらない。ある意味究極のカスタマーサービスである。