川べりの小道をたどって近づいて行くと、約100メートルはあろうかという川幅いっぱいに低く、木材や竹で組み立てた橋が架かっている。金属やコンクリートの構造体はなく、どう見ても強度は高くなさそうだ。橋の上部、歩行面の幅は70センチほど。並べた木片の間には隙間があり、川面がすぐそこに見える。そこから高さ1メートル程の高さに「手すり」に相当する部分があるが、それに掴まったところで身の安全が確保されるかどうかは分からない。周囲の川の流れは本格的な雨季を前にして、かなり速い。橋の対岸の端には小さな小屋が立てられていて、橋の係員だろうか、誰かが一人、遠目に私の様子を伺っている。

橋のこちら側の端には看板が掲げられ、ラオス語と英語とフランス語で手書きのメッセージが書かれている。曰く、「この橋は地元住民が毎年乾季に、自分たちだけで自然の素材を使って架けているものです。本格的な雨季が到来し、増水して水の流れが速くなると流失します。この貴重な生活インフラを維持するために、一回の通行につき5000キップ(約米70セント)を係員にお支払いください」。

ルアンパバン4

なるほど。この地点からは確かにニューブリッジもオールドブリッジもかなり遠い。住民たちの生活インフラ、というのはまあ分かる。そのメッセージの内容には異論はないが、それはつまりこの橋の安全性は公的に保証されていない、ということでもある。んーでも実際は、半ば観光客目当ての設備なのでは?ワイルドに見せかけておいいて、実はしっかりした作りだったりして、などとひねくれたことも考えたりする。

いずれにしろここまで来たら渡るしかない。対岸にある安宿に戻るのにわざわざオールドブリッジに戻るのも面倒だ。歩き始めると、自身の体重で橋全体が揺れるのはもちろんだが、川の流れに反応して常に揺れているようでもある。しかし、このような構造体は多少柔軟なほうがより強度も出る、と聞いたことがある。違ったかな?などと一人ごちながら歩みを進める。橋の向こう川には先ほどの係員以外にヨーロッパ人の観光客らしき人もいて、私が渡り切るのを待っているようだ。ただそれが、橋の上で互いが交差しないための心遣いなのか、まず私に渡らせて安全性を確認しているのかは分からない。

ルアンパバン5

橋の中ほどまで来る。万一ここで橋が崩れたら自分はどちらの岸まで泳くのがいいか、あるいは橋の破片に掴まってしばらく流されるのがいいか、などと冷静に考えているのが我ながら面白い。危機的な状況がリアル過ぎると、恐怖心はあまり感じないのだ。ようやく対岸に到達しようかという少し手前の橋の真ん中に、野良犬が昼寝をしている。爆睡だ。おお、野生動物の嗅覚・危険察知能力をもってしても、この橋はとりあえず安全ということか。

対岸の小屋ではこの橋を作った家族の一人というおばさんがぼんやり座っていた。通行料を払うときちんと領収書を手渡してくれる。一族の収入源として、多少は観光客目当てに欲も出そうなものだが、おばさんの表情や雰囲気は、どこか世俗を超越した「灯台守」のそれのようだ(灯台守の方には会ったことはありませんが)。やはりこの橋、観光目的の客寄せ施設ではなさそうだ。雨季で橋が流された後は、オールドブリッジまで行ってそこを歩いて渡るのか?と聞くと、「舟を漕いで、ここを渡る。鉄の橋ができる前からそうしているし、川は暮らしの一部」と笑顔で答えが返ってきて、その逞しさと深さに、どこか圧倒される。

ルアンパバン6

観光地化が急速に進むこのルアンパバン。確かに16年前と変わったこともあれば、そうでないこともある。しかしそれは来訪者の勝手な印象でしかない。この「桃源郷」では、土地の持つスピリットや自然と共に生きる人たちの魂と暮らしの基本は、観光客の数などで簡単に変わることなどなく力強くそして脈々と伝えられている。それは目の前に流れる大河のごとく、この地で永遠続くものなのだろう。

ルアンパバン7

川べりの小道をたどって近づいて行くと、約100メートルはあろうかという川幅いっぱいに低く、木材や竹で組み立てた橋が架かっている。金属やコンクリートの構造体はなく、どう見ても強度は高くなさそうだ。橋の上部、歩行面の幅は70センチほど。並べた木片の間には隙間があり、川面がすぐそこに見える。そこから高さ1メートル程の高さに「手すり」に相当する部分があるが、それに掴まったところで身の安全が確保されるかどうかは分からない。周囲の川の流れは本格的な雨季を前にして、かなり速い。橋の対岸の端には小さな小屋が立てられていて、橋の係員だろうか、誰かが一人、遠目に私の様子を伺っている。

橋のこちら側の端には看板が掲げられ、ラオス語と英語とフランス語で手書きのメッセージが書かれている。曰く、「この橋は地元住民が毎年乾季に、自分たちだけで自然の素材を使って架けているものです。本格的な雨季が到来し、増水して水の流れが速くなると流失します。この貴重な生活インフラを維持するために、一回の通行につき5000キップ(約米70セント)を係員にお支払いください」。

ルアンパバン4

なるほど。この地点からは確かにニューブリッジもオールドブリッジもかなり遠い。住民たちの生活インフラ、というのはまあ分かる。そのメッセージの内容には異論はないが、それはつまりこの橋の安全性は公的に保証されていない、ということでもある。んーでも実際は、半ば観光客目当ての設備なのでは?ワイルドに見せかけておいいて、実はしっかりした作りだったりして、などとひねくれたことも考えたりする。

いずれにしろここまで来たら渡るしかない。対岸にある安宿に戻るのにわざわざオールドブリッジに戻るのも面倒だ。歩き始めると、自身の体重で橋全体が揺れるのはもちろんだが、川の流れに反応して常に揺れているようでもある。しかし、このような構造体は多少柔軟なほうがより強度も出る、と聞いたことがある。違ったかな?などと一人ごちながら歩みを進める。橋の向こう川には先ほどの係員以外にヨーロッパ人の観光客らしき人もいて、私が渡り切るのを待っているようだ。ただそれが、橋の上で互いが交差しないための心遣いなのか、まず私に渡らせて安全性を確認しているのかは分からない。

ルアンパバン5

橋の中ほどまで来る。万一ここで橋が崩れたら自分はどちらの岸まで泳くのがいいか、あるいは橋の破片に掴まってしばらく流されるのがいいか、などと冷静に考えているのが我ながら面白い。危機的な状況がリアル過ぎると、恐怖心はあまり感じないのだ。ようやく対岸に到達しようかという少し手前の橋の真ん中に、野良犬が昼寝をしている。爆睡だ。おお、野生動物の嗅覚・危険察知能力をもってしても、この橋はとりあえず安全ということか。

対岸の小屋ではこの橋を作った家族の一人というおばさんがぼんやり座っていた。通行料を払うときちんと領収書を手渡してくれる。一族の収入源として、多少は観光客目当てに欲も出そうなものだが、おばさんの表情や雰囲気は、どこか世俗を超越した「灯台守」のそれのようだ(灯台守の方には会ったことはありませんが)。やはりこの橋、観光目的の客寄せ施設ではなさそうだ。雨季で橋が流された後は、オールドブリッジまで行ってそこを歩いて渡るのか?と聞くと、「舟を漕いで、ここを渡る。鉄の橋ができる前からそうしているし、川は暮らしの一部」と笑顔で答えが返ってきて、その逞しさと深さに、どこか圧倒される。

ルアンパバン6

観光地化が急速に進むこのルアンパバン。確かに16年前と変わったこともあれば、そうでないこともある。しかしそれは来訪者の勝手な印象でしかない。この「桃源郷」では、土地の持つスピリットや自然と共に生きる人たちの魂と暮らしの基本は、観光客の数などで簡単に変わることなどなく力強くそして脈々と伝えられている。それは目の前に流れる大河のごとく、この地で永遠続くものなのだろう。

ルアンパバン7