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「国境がない」のは、ドイツとオーストリアがシェンゲン協定に加盟しているからである。イギリス・アイルランドなどを除くEU加盟国を中心にした各国が、域内の移動における国境検査を廃止する協定で、EU統合の実践的なシンボルの一つでもある。互いの国の領土からの移動の自由が許可され、協定加盟国同士では事実上の国境がない状態が実現している。日本など域外から到着する際には、最初の上陸地点で入国(入域)手続きをすれば、その後の協定域内の移動で国境検査はなくなる。それでもいくつかの国の陸路・空路の国境には形だけのイミグレーションブースや、パスポートをチラ見するだけの国境検査らしきものを時折見かけるが、ドイツ・オーストリア間の鉄路の移動においては実際に「何もない」のである。

その背景にはドイツとオーストリア両国の出入国管理の方針もあるが、そもそも現在の南ドイツのバイエルン州とオーストリアのザルツブルグ州が同じ歴史文化圏であることも大きいのだという。実際、ミュンヘンにはザルツブルクを郊外の古都のように感じている人もおり、ザルツブルクの人にとっても300キロ離れた首都ウィーンよりも140キロ先のミュンヘンの方が近隣の都会として馴染みが強いそうだ。相互の人と物の移動量は極めて多いという。この先は、では「国」とは何だ、という話になりそうだが、いずれにしろ旅行者の移動にとってはありがたい自由度である。

しかしながら、2015年9月からは、このような「何もない」国境で一時的に入国検査が実施された。数100万人以上とも予想されるシリアなどの紛争地域からの難民の大多数が、鉄道を含む陸路でヨーロッパに流入したためだ。EUと各国で長期的な難民政策が議論される一方、今そこに到達している難民への現実的な対応が必要との判断で、限定的にEU内での難民らの移動を制限したのだ(検査実施はシェンゲン協定の枠内の例外処置であるという)。自由であるはずの域内移動も、このように世界の情勢によって大きく変わる。陸路・空路に関わらず、移動の自由を享受できることはまさに幸運なことであることは、旅人としていつも心に刻んでおきたいものだ。

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そんなことを考えていると列車は静かにザルツブルク中央駅に到着する。駅舎は歴史ある中央ヨーロッパの鉄道駅の趣を残しつつ、デザインと機能性、利用者へのユーザビリティーとアメニティは現代ヨーロッパの空港ターミナルビルのそれに近い。ミュンヘン国際空港からわずか約3時間、一度の乗り換えで隣国の古都中心部に直接到着できるのは感激だ。国際線のフライトでウィーン国際空港に到着し、国内線でザルツブルク空港に乗り継ぐ旅程と比較しても、コスト・所要時間の両面でも遜色がない。二つの異なるルートはまさに成熟した旅行市場の選択肢と言えるだろう。

ザルツブルクはオーストリア・ザルツブルク州の州都で、その旧市街と歴史的建造物がユネスコ世界遺産に登録されている。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味し、市中を流れるザルツァッハ川からはかつて岩塩がヨーロッパ各地に送られ、街に莫大な富をもたらした。旧市街には中世から変わらぬ佇まいの石畳が続く。11世紀に建てられ、ほぼ完全な形で現存するヨーロッパ中世の要塞「ホーエンザルツブルク城」は街のどこからでもその荘厳な姿を見上げることができるほか、17世紀建立の「ミラベル宮殿」や紀元前に創設された「ノンベルク尼僧院」など、見どころは数え切れない。

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そんなザルツブルクの歴史的観光都市としての魅力は、ここが音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1756年に生まれ25歳まで音楽活動を行った地であることで、世界の音楽家・愛好家にとっては巡礼地のような存在にまで高められている。ゲトライデ通りにモーツァルトの生家を訪ねることができるほか、毎夏に開催される有名な「ザルツブルク音楽祭」はモーツァルトの楽曲の演奏がメーンイベントの一つでもある。ザルツブルクでは中世そのままの街の景色に世界のほかのどの土地よりもリアルにタイムトラベルのような体験ができるだけでなく、私のように音楽に明るくない旅人にとってもヨーロッパの街や歴史と一体化した芸術としてのクラシック音楽の一端を理解することができるように思う。ここは世界の旅人が、一度は立ち寄る価値のある土地の一つだろう。

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「国境がない」のは、ドイツとオーストリアがシェンゲン協定に加盟しているからである。イギリス・アイルランドなどを除くEU加盟国を中心にした各国が、域内の移動における国境検査を廃止する協定で、EU統合の実践的なシンボルの一つでもある。互いの国の領土からの移動の自由が許可され、協定加盟国同士では事実上の国境がない状態が実現している。日本など域外から到着する際には、最初の上陸地点で入国(入域)手続きをすれば、その後の協定域内の移動で国境検査はなくなる。それでもいくつかの国の陸路・空路の国境には形だけのイミグレーションブースや、パスポートをチラ見するだけの国境検査らしきものを時折見かけるが、ドイツ・オーストリア間の鉄路の移動においては実際に「何もない」のである。

その背景にはドイツとオーストリア両国の出入国管理の方針もあるが、そもそも現在の南ドイツのバイエルン州とオーストリアのザルツブルグ州が同じ歴史文化圏であることも大きいのだという。実際、ミュンヘンにはザルツブルクを郊外の古都のように感じている人もおり、ザルツブルクの人にとっても300キロ離れた首都ウィーンよりも140キロ先のミュンヘンの方が近隣の都会として馴染みが強いそうだ。相互の人と物の移動量は極めて多いという。この先は、では「国」とは何だ、という話になりそうだが、いずれにしろ旅行者の移動にとってはありがたい自由度である。

しかしながら、2015年9月からは、このような「何もない」国境で一時的に入国検査が実施された。数100万人以上とも予想されるシリアなどの紛争地域からの難民の大多数が、鉄道を含む陸路でヨーロッパに流入したためだ。EUと各国で長期的な難民政策が議論される一方、今そこに到達している難民への現実的な対応が必要との判断で、限定的にEU内での難民らの移動を制限したのだ(検査実施はシェンゲン協定の枠内の例外処置であるという)。自由であるはずの域内移動も、このように世界の情勢によって大きく変わる。陸路・空路に関わらず、移動の自由を享受できることはまさに幸運なことであることは、旅人としていつも心に刻んでおきたいものだ。

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そんなことを考えていると列車は静かにザルツブルク中央駅に到着する。駅舎は歴史ある中央ヨーロッパの鉄道駅の趣を残しつつ、デザインと機能性、利用者へのユーザビリティーとアメニティは現代ヨーロッパの空港ターミナルビルのそれに近い。ミュンヘン国際空港からわずか約3時間、一度の乗り換えで隣国の古都中心部に直接到着できるのは感激だ。国際線のフライトでウィーン国際空港に到着し、国内線でザルツブルク空港に乗り継ぐ旅程と比較しても、コスト・所要時間の両面でも遜色がない。二つの異なるルートはまさに成熟した旅行市場の選択肢と言えるだろう。

ザルツブルクはオーストリア・ザルツブルク州の州都で、その旧市街と歴史的建造物がユネスコ世界遺産に登録されている。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味し、市中を流れるザルツァッハ川からはかつて岩塩がヨーロッパ各地に送られ、街に莫大な富をもたらした。旧市街には中世から変わらぬ佇まいの石畳が続く。11世紀に建てられ、ほぼ完全な形で現存するヨーロッパ中世の要塞「ホーエンザルツブルク城」は街のどこからでもその荘厳な姿を見上げることができるほか、17世紀建立の「ミラベル宮殿」や紀元前に創設された「ノンベルク尼僧院」など、見どころは数え切れない。

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そんなザルツブルクの歴史的観光都市としての魅力は、ここが音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1756年に生まれ25歳まで音楽活動を行った地であることで、世界の音楽家・愛好家にとっては巡礼地のような存在にまで高められている。ゲトライデ通りにモーツァルトの生家を訪ねることができるほか、毎夏に開催される有名な「ザルツブルク音楽祭」はモーツァルトの楽曲の演奏がメーンイベントの一つでもある。ザルツブルクでは中世そのままの街の景色に世界のほかのどの土地よりもリアルにタイムトラベルのような体験ができるだけでなく、私のように音楽に明るくない旅人にとってもヨーロッパの街や歴史と一体化した芸術としてのクラシック音楽の一端を理解することができるように思う。ここは世界の旅人が、一度は立ち寄る価値のある土地の一つだろう。